2019.11.26

消滅する近鉄のホーム最終戦。
松坂と中村は抱き合い、選手は号泣した

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

 そんなチームメイトを見ていた礒部公一は言う。

「ベテランはもちろん、在籍期間の短い若手も、『本当に近鉄の一員になってくれたんだな』とうれしくなりました。年数じゃないですよ。近鉄の色にみんなが染まってくれた証拠でしょうね」

 グラウンドを回り終えた選手たちが、一、二塁間に整列し、ライトスタンドを背に記念撮影を行なった。前列に座った礒部の胸には、その年の5月に急死した鈴木貴久二軍打撃コーチの遺影が抱えられていた。

 1月31日に勃発したネーミングライツ(球団命名権)の売却問題、6月13日にいきなり表面化したオリックスとの球団合併、リーグ再編問題に端を発した史上初めてのストライキ……さまざまな問題に揺れたプロ野球にとって、70年の歴史の中で大きな区切りとなる一日だった。

【誰にも渡せなかった監督のバトン】

 この日の試合前、監督の梨田昌孝の元を、西本幸雄が訪れた。”お荷物球団”と揶揄され続けた弱小球団を2度のリーグ優勝に導いた名将は「ご苦労さん、しんどいことをさせてしもうたな」とつぶやくように言った。

 2000年に監督に就任した梨田にとって、西本は師匠であり、父親であり、恩人だった。一方の西本からすれば、2連覇を果たしたチームのキャッチャーだった梨田は、手塩にかけて育てた弟子になる。

「大阪ドームでの最後の試合、西本さんはわざわざ足を運んでくださいました。ねぎらいの言葉しかなかったですね。『つらいことをさせたなぁ』と。近鉄は最下位もあったけど、それなりに優勝も狙えるようになっていただけに……。84歳(当時)のご高齢なのに、顔を見せてもらって本当にありがたかったですね」

 かつて、ともに優勝を目指して戦った師匠と弟子に、多くの言葉はいらない。

「たぶん僕もそうですが、西本さんも少し涙ぐんではったように、目頭が熱くなっているように見えました。僕はこれまでに西本さんの涙なんか一度も見たことないけど、あの時はちょっとそうなっていた感じを受けましたね。『近鉄がなくなったら、さびしくなるやないか』と言って」

 ホーム最終戦が行なわれた時点で、チームがオリックスと合併して「オリックス・バファローズ」になることは決定済み。野球ファンを魅了してきた近鉄バファローズが、この世から消えようとしていた。

 選手、コーチ、監督として29年間もそのユニフォームを着た梨田の胸中は複雑だった。55年の歴史を刻みながら、一度も日本一にのぼりつめることなく、チームが消滅を迎える無念さがあったからだ。

「僕は教え子やったから、西本さんが届かなかった日本一に、何としてでもなりたかった。2001年にリーグ優勝して日本シリーズに出た時には『冥土の土産に日本一になりますよ』と言ったんですが、できなかった。鈴木啓示さん、佐々木恭介さん、そして僕と、西本さんと一緒に日本シリーズに出たメンバーが監督をやってきた。でも、僕は誰にもバトンを渡せなかった。これは本当につらい。合併については、『どうにかならんかったんか』という気持ちが強い。心残りがありますよ」