カープ低迷期を支えた永川勝浩が引退。心と体のギャップに限界を感じた (2ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Nishida Taisuke

 しかし、全力で走り続けた代償からか、2010年4月13日ヤクルト戦で右足内転筋を痛めた。

「あの段階で終わったんだろうなって......。当時はそんなこと思わなかったですけど、いま思えば、あそこで終わっていたんだろうなと思います」

 翌日、「右長内転筋、恥骨筋損傷」と診断され、出場選手登録を抹消。それ以降、下半身の馬力を使った豪快な投球はなりを潜めた。痛みが癒えても軸足に体重は乗りきらず、投球バランスを狂わせた。150キロ近い剛速球は、一時140キロ前後しか出ない時もあった。

 以後、積み重ねられたセーブ数がわずかに1だったことを考えても、永川のプロ野球人生に大きな影を落としたことは言うまでもない。

 ただ、「あれがあったから頑張れたかもしれない」と言い切る。過去は変えられない。だからこそ現実を受け入れ、進んでいくしかない。歯を食いしばりながら、もがきながら歩んだプロ野球人生の第2章は、野球人として変わることを受け入れながら進んでいった。

 2013年は開幕直後に右中指腱鞘炎、2017年は左膝痛を発症と度重なるケガが、永川の行く手を阻んだ。ケガする前のような剛球は投げられない。ならば制球力を磨き、キレを増し、打者が見えづらいフォームに修正......成長するために追求できることは何でもやった。

 もちろん球威が復活することもあきらめてはいなかった。試行錯誤や葛藤、挫折を繰り返してきた。昨年は一軍に復帰し、22試合に登板するなど3連覇に貢献。存在感と矜持を示した。

 今年は開幕から一軍登板がないまま、シーズンを過ごしてきた。野球への情熱、投手としての探究心は最後まで尽きることはなかったが、心とは対照的に肉体の衰えには抗(あらが)えなかった。ウエイトトレーニングに負荷をかけると張りがなかなか抜けず、頭で描いたイメージを表現することも難しくなっていた。

「そういうところを総合して心が折れた。いろいろ考えながら、限界を感じてしまいました」

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