2019.09.25

カープ低迷期を支えた永川勝浩が引退。
心と体のギャップに限界を感じた

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Nishida Taisuke

 柔和な表情だった。鬼の形相で広島の門番を務めていた、あの姿はもうない。9月23日、広島の永川勝浩が17年の現役生活にピリオドを打った。引退会見では、球団だけでなく、先輩や後輩への感謝の言葉を並べた。時に笑顔を見せ、時に瞳にうっすら涙を浮かべた。

「やっぱり(自分のことではなく)人の話がダメなんだよね」

 永川らしい、人間味溢れる会見だった。

17年の現役生活で、球団記録となる165セーブを挙げた広島・永川勝浩 マウンドで荒々しい姿が今も残る。亜細亜大から入団した2003年、いきなりストッパーを任せられた。左足を大きく上げたダイナミックなフォームから力強い直球と落差の大きいフォークを武器に、1年目から25セーブを挙げた。

「山本浩二監督(当時)にクローザーを任せていただいて、そういう道をつくっていただいた。この17年間は、その最初のスタートがあったからこそ。そういう意味で感謝しています」

 永川は、低迷期にあった広島の守護神を務めた。豪快な投球スタイルで地位を確立し、一時代を築いた。だが、投手としての荒々しさは制球面にも見られ、四球からピンチを招くことも、リードを守り切れない登板もあった。

「何試合(勝ち星を)消してきたかわからない。僕の失敗のせいで、プロで1勝もできずに辞めた選手もいます。僕の失敗がなければ1勝はできていたわけで……。黒田(博樹)さんが投げた時も失敗していますし、佐々岡(真司)さんが投げた時も失敗している。本当に迷惑をかけました」

 自らそう振り返ったように、”絶対的守護神”ではなかったかもしれない。

 登板時に本拠地ファンがざわつくことも、広島の街ですら罵声を浴びたこともあった。だからだろう、マウンドを降りても表情は厳しいままだった。強くあり続けなければいけない。それだけの責任と重圧があった。

「そこは練習するしかない。当然、今もそう。逃げることはできない。すべて行動に移して打破していくしかない」。

 走って、走って、投げ、そしてまた走って、走って、投げてきた。強靭な肉体と精神力に支えられ、2005年から5年連続で50試合以上に登板し、2007年からは3年連続で30セーブ以上を記録した。2010年4月までに積み重ねたセーブ数は、球団記録の164となった。