愛甲猛のプロ入り前。プリンス→西武の「トンネル入団」計画があった (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Jiji Photo

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 西武グループにおけるプロ野球のライオンズと社会人野球のプリンスホテル。同一資本がプロとアマのチームを持っているからこそ、他球団が問題視し、マスコミが揶揄した「トンネル入団」も可能となる。その点、プリンスにおいて、幅のように裏で動く人間が必要だったことはわかる。ただ、幅自身の野球経験、知識、選手を見る目はどうだったのか。

「中学の時に野球をやっていたとは聞いていたんですけど、詳しい話をしたことは全然なくて。一度、『オレも野球は大好きだった。でも、こんな背が小さくて、プロとしては無理だった。息子にやらそうと思ったけど、ふたりとも野球のやの字もない世界に行ったから』と言ってました。まあ、そこに僕が現れたようなもので、だから『幅家の次男』って呼ばれたんですね」

 幅の年齢はそのとき50歳。根本は54歳だったから、本格的な野球経験もない年下のホテルマンを「オヤジ」と呼ばずにいられないとは、人間性も仕事ぶりも高く見上げるものがあったはず。そのあたり、プリンスの野球の現場ではどう見られていたのだろう......。

 そもそも、プリンスホテル硬式野球部は、西武グループ総帥・堤義明の意向で誕生した。当時、早稲田大野球部監督だった石山建一が、同大の先輩でもある堤から直々に命を受け、78年の春先からチーム編成に着手。同年限りで早大監督を辞任すると、プリンスの助監督に就任した。監督には日本通運で都市対抗優勝の実績がある稲葉誠治が就任したが、チームづくりは石山に一任され、采配面も任された。85年からは正式に監督となり、その現場を熟知していた石山に、幅との関係性を聞く。

「幅さんは野球部ができた時の総支配人でしたから、しょっちゅう会って野球の話をしてました。人間的には結構、太っ腹でね。だから年齢に関係なく根本さんと合うんじゃないか、とは思っていました。それでプリンスが獲りたい選手のリストアップは私がひとりでやっていたんだけど、幅さんにはスカウトを頼むことがあった。当然、愛甲もリストに入っていて、幅さんが可愛がっているというのでお願いして。あとは中尾、堀田(一彦)もそう、瀬戸山(満年)もそうでした」

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