2019.06.17

草野球の魚屋さんからプロの大エースに。
土橋正幸が歩んだ下町ドリーム

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 「なんとかコツをつかもうと思って、フリーバッティングでたいてい1時間は投げた。それから二軍の試合に投げて、そのあと、コーチの指示で2時間ぐらいピッチングしたときもありました。アウトコース、インコースにね、10本続けてストライクが入りゃあ終わりなんだけど、5つぐらいまで行くと暴投でやり直し。7つぐらいまで行ってまたやり直し。のちにはもう目ぇつぶったってストライクの10本ぐらい投げられたけどさ、当時は終わりませんよ。だから2時間。厳しかったですね」

 想像以上の練習量でも心身がつぶれなかったのは、もともとの〈タフ〉さがあったからなのか。

「きっかけは相撲なんです。わたしは子どもの頃から相撲が大好きで、戦前からしょっちゅう祖母と一緒に国技館に観に行ってた。母方の親戚に関取がいたこともあって、相撲取りになるんだっていうぐらい好きだったんです。それで東映に入って2年目、わたしが憧れた横綱の栃錦。魚河岸にある伝手(つて)を通じて栃錦に会えることになったんですよ」

 都市対抗、相撲と、本物を間近に観る環境に恵まれていた。好影響があったはず、と思える。

「それで春日野部屋に行ったらね、横綱に会う会わない以前にさ、稽古を見たら15、16の子が裸で地べたを転がり回ってる……。わたしはそれを見て、俺たちの野球の練習なんてこれに比べりゃ屁のようなもんだ、と思ってね。それまで嫌だった練習を自分で進んでやるようになった。そしたら、コツがわかってきたんです。ボールを離すコツがね。力で投げるんじゃないんだってことが」

 取材当初からずっと椅子の背もたれにかかっていた右腕が、ゆっくりと動かされた。

「ちゃんと腕が振れて、指先にボールがかかる。それまでは肩に力が入っちゃうからダメだった。投げるときに余分な力が入らなければ、勝手に球が行っちゃうような感覚になる。そしたら1時間投げてもなんでもない。両親とは3年の期限で約束したわけだけど、なんとか3年目に勝てたんです」

 自己流でなんとかピッチングのコツをつかんだ土橋投手は、そのあと、驚くべき実績を積み重ねていくことになる。

(後編につづく)

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