オープンスタンス、落合、メガネ...八重樫幸雄が令和に遺すプロ野球伝説 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――スリム? 足が速い? いったい、誰の話をしているんですか?

八重樫 オレだよ、オレ(笑)。プロに入った頃はまだヒョロヒョロで足も速かったんだから。プロに入ってから、とにかくたくさん食べて身体を大きくしたけど、プロ入りから数年間はいつも、コンバートの話が出ていた。高卒のキャッチャーは一人前になるのに時間がかかるから、「打撃を生かすためにも、まずは捕手以外で」と、当時の首脳陣は考えていたみたいだけどね。別所(毅彦)監督には「外野をやれ」と言われ、三原(脩)監督には「サードをやれ」と言われて、二軍ではショートもやったよ。

【メガネキャッチャーマスクの生みの親】

――続いて、「八重樫幸雄・黄金伝説②・一本足打法をすぐにマスターした」とのこと。これはどういうことですか?

八重樫 王(貞治)さんに一本足打法を教えた荒川(博)さんがヤクルトの打撃コーチに就任した1973年、「お前の才能に惚れ込んだ。オレが何とかお前を一人前にする」ということで、当時まだ若手だった僕と杉浦(享)が一本足打法の特訓をすることになったんだよね。

――いわゆる「荒川道場」では、王さんと同じように真剣を使って素振りをしたのですか?

八重樫 もちろんしましたよ。パンツ一丁になって真剣を握って、天井からぶら下げられた紙切れを切ったり、ときにはわらの束を一本足でひと太刀したりしたこともあったし。

――やっぱり、慣れるまではなかなか切れないものなんですか?

八重樫 全然。アッサリと切れたよ。当時は、「こんな簡単に切れていいのか?」って思ったけど、とにかく簡単に切れた。ちょっと拍子抜けしたかな(笑)。でも、杉浦は見事にハマったけど、結局はオレに一本足打法は合わなかった。元の感覚に戻すのに数年かかったから、オレにとっては遠回りだったのかもしれないね。

――続いて、「八重樫幸雄・黄金伝説③・メガネ用キャッチャーマスクの生みの親」という伝説もあるそうですね。

八重樫 オレ、現役時代にメガネをかけていたでしょ? でも、あの頃のキャッチャーマスクって、メガネをかけてマスクをつけるとメガネとマスクがぶつかっちゃって使えないんですよ。だから、最初の頃は前に膨らみが大きい、審判用のマスクをかぶっていたんだけど、いつまでもそれを使うわけにはいかないから、スポーツメーカーに頼んで、メガネをかけたままかぶれるマスクを開発してもらったんだよね。後に、古田(敦也)はそれを使って活躍したんだよ。

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