飯田哲也に捕殺を許した笘篠誠治が、今でも思い出す「痛恨のミス」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

「12球団で一番の打球判断ができる」と自負していた

――センター・飯田哲也選手からの返球はノーバウンドのダイレクト送球でした。それは想定されていましたか?

笘篠 想定していました。飯田の肩を考えれば、「絶対にカットプレーはないだろう」と思っていました。でも、ノーバウンドであのコントロールということは、僕の想定よりもすごい球がきたんでしょうね。サードベースを蹴ったとき、(キャッチャーの)古田(敦也)の構えと目に注目していました。捕球態勢に入っている古田の視線の先を見て、「おっ、もうボールがきているのか」と思って、「古田をかわして手でベースタッチにいこう」と考えました。でも、間に合わなかったんです。その前に飯田の返球が届いていました。

――思った以上に早く、飯田さんのボールがきていたのですね。

笘篠 そうです。それで、瞬時に走路を変えました。正面からタックルにいくのではなく、手で(ホームベースを)払うことにしたんです。でも、間に合わなかったですね。まだコリジョンルールがなかった頃ですけど、古田に見事にブロックされてしまいました。

映像を見ながら当時を振り返る笘篠氏 photo by Hasegawa Shoichi映像を見ながら当時を振り返る笘篠氏 photo by Hasegawa Shoichi――結局、試合はこのまま1-0でスワローズが勝利します。「走塁のプロフェッショナル」としての代走起用でありながら、ホームでアウトになってしまった。このときの心境はどのようなものでしたか?

笘篠 「やっちゃったな......」という感じですね。自分では「絶対にセーフだ」と思っていたのに、スタートが遅れてアウトになってしまったんですからね。スタートを除けばノーミスでした。でも、最初のスタートの出遅れが、そのまま結果につながってしまった。そんな感じですね。

――失敗が許されない「代走」という役割だからこそ、責任感もより大きいんですね。

笘篠 この世界はゲームに出なければお金にならない世界です。だから、「どうやったら、試合に出られるのか?」を常に考え続けて、走塁技術を磨きました。当時の西武の選手はみんな走塁意識が高かったけど、僕は「自分が一番だ」と思っていました。打球判断に関しては「12球団で一番だ」と。それだけの練習をしてきたという自負がありましたから。だから、この場面で僕がセーフになっていたら、シリーズの流れは全然違ったと思います。

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