逆転の発想で甲斐拓也が挑む究極捕手像「盗塁阻止より企画させない」 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

―― "甲斐キャノン"という言葉も一気に浸透しました。そう呼ばれることについて、自身はどのように感じていますか。

「うれしいのは間違いないです。だけど、自分ではまだまだだと思っています。自分の持っている力以上に見られているというのが正直なところです。送球がすごい、肩が強いと思われていますが、"甲斐キャノン"という言葉だけがひとり歩きしている状態。そのギャップを埋めるのがうれしい反面、プレッシャーでもありますね」

―― 今回「甲斐キャノンのその先」をテーマにお聞きしたいと思っているのですが、甲斐選手はどのように感じられていますか。

「先はまだまだありますよ。いまの僕なんて全然ですから。だって古田(敦也/元ヤクルト)さんなんて(1993年の盗塁阻止率)ロクヨンヨン(6割4分4厘)ですよ。通算だって4割以上(4割6分2厘)じゃないですか。あと城島(健司/元ソフトバンクなど)さんの5割超え(2002年に盗塁阻止率5割8厘)とか......僕らからしたら考えられない数字です。だから僕なんてまだ全然です」

―― とはいえ、いま、この立場になって思うことはなんでしょう。

「今まで出会ってきた人に恵まれている。それが一番です。それらの出会いが、僕の人生のすべて。プロに入れたのは高校時代の監督のおかげですし、プロに入ってからも監督やコーチの方、そして周りの方々が支えてくれたからです。技術も精神面も教えてもらいました」

―― 母校である楊志館高校(大分)の宮地弘明監督がキャンプを見に来られていました。高校時代はどんな選手だったのですか。

「普通の選手でした。肩はちょっと自信がありましたが、強く投げているだけで。宮地先生は、僕の道を拓いてくれた人。自分の力だけでは(プロは)絶対に無理だったと思います。本当に自分の力が10だとしたら、残り90は宮地先生の力です。僕に期待をしてくれて、その気持ちになんとかして応えたいと。その思いでやっていました」

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