敵地で田尾コールが起こった最終戦。「野球人生の頂点はあの胴上げ」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

連載「礎の人 ~チームの成長にこの指導者あり~」第2回:田尾安志(後編)

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 派手なファインプレーは誰が見ても分かる。優勝の瞬間のヒーローもまた万人は知る。しかし、その場の勝利は遥か彼方にありながら、創成期や過渡期のチームを支え、次世代にバトンを渡すために苦闘した人物に気づく者は少ない。礎を自覚した人は先を見据えた仕事のしかた故にその結果や実績から言えば凡庸、否、惨々たるものであることが多い。しかし、スポーツの世界において突然変異は極めて稀である。チームが栄光を極める前に土台を固めた人々の存在がある。「実はあの人がいたから、栄光がある」という小さな声に耳を傾け、スポットを浴びることなく忘れかけられている人々の隠れたファインプレーを今、掘り起こしてみる。

 連載2回目、東北楽天イーグルスで初代監督を務めた田尾安志(後編)。

敵地のヤフードームで選手たちから胴上げをされた田尾安志敵地のヤフードームで選手たちから胴上げをされた田尾安志

 田尾がチームメイトや裏方に対する気遣いをするのは、現役時代から続くポリシーである。中日の選手会長時には何度も設備や待遇の改善を球団社長に訴えて来た。絶対的なクローザーである牛島和彦の年俸が「若いうちから大きなカネは持たない方がいい」という理由で低く抑えられたときは、選手会長として自ら社長宅に直談判に向かい、「ウシはチームに不可欠な存在です。あいつの給料をあげてやって下さい」と訴えた。

 これらの行動は私欲やスタンドプレーではなく、ただただチームの将来のためを思っての行動であったが、生意気な奴、それこそたかが選手が、と受け取られて西武にトレードに出されてしまった。

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