赤星憲広が残念がる阪神の実情。選手間の情報やりとりが「全然ない」 (2ページ目)

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by Kyodo News

──首脳陣の責任も大きいと思うのですが。

「もちろん責任がないわけではありませんが、選手がスランプに陥った時には決まって指導者に批判が集中しますよね。少なくとも僕が現役だった頃から、タイガースには『成績が上がらないのは自分たちのせいではない』という風潮があって、マスコミや阪神ファンの方々もそう錯覚しているところがあるんじゃないかと思います。今年は責任を負う形で金本(知憲・前)監督と片岡(篤史・前)ヘッド兼打撃コーチが退任されました。しかし今年に限らず、指導者は短いスパンで代わる可能性があることを、選手たちはもっと意識しないといけません」

──赤星さんがタイガースにいた2001年からの9年間でも、監督が4回代わっていますね。

「そうですね。プロ野球では選手生命よりも指導者の任期が短いことも多いんです。人が代われば教え方や考え方も変わりますから、自分のスタイルを築いていないと、言われたことをすべて鵜呑みにするだけで上積みがなくなってしまう。経験豊富な首脳陣に頼ることは悪くはないのですが、試合に出た時は誰も助けてくれませんからね。そこを、カープの"タナキクマル"(田中広輔、菊池涼介、丸佳浩)や鈴木(誠也)などはわかっている。彼らは、自分たちの力で今の立場を不動のものにしたんです」

──具体的にどう克服していけばいいのでしょうか。

「自分で『同じ過ちを犯さないためにはどうするか』を考え、実行することです。僕の現役時代の話になりますが、ルーキーとして迎えた2001年は僕のデータがないので、相手の投手もいろいろ試しながら投げてきました。内角の球を何本かヒットにできて打率が上がりだすと外角中心の攻めに変わっていったので、外角の球を待つことが多くなった。それがハマり、2割9分2厘でシーズンを終えて新人王を獲得することができました。

 しかし翌年は、『これでもか!』と言わんばかりに内角を攻められました。それを無理して打ちにいき、自打球を当てて足を骨折してしまい途中からシーズンを棒に振ることになります。そこで、内角のボールへの対処を必死に練習して克服すると、もともと得意だった外角にも球が来るようになり、3年目のシーズンは打率を3割に乗せることができました」

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