「悔しがり方は高校時代と変わってない」恩師が見た鈴木誠也の成長度 (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 西田泰輔●写真 photo by Nishida Taisuke

 また別の日、相手は忘れたが練習試合のグラウンドでのことだ。投手として試合に出ていた鈴木が、試合後半からセンターを守ることになった。たしか、試合序盤で3~4点奪われていて、投手としてはさほど芳(かんば)しいものではなかった。

 強豪校のエースで4番である。多少の落胆や苛立ちはあるのだろうと見ていたら、颯爽とセンターのポジションに向かっていく鈴木の姿があった。その足どりはとにかく軽快だった。

「やっとオレの出番が来たぜ!」とでも叫んでいるようにセンターのポジションに向かっていくうしろ姿を見ながら、「コイツはピッチャーじゃないな......」と勝手につぶやいていたものだ。

「体が強く、スピードも飛び抜けている。だからケガも多かった。ケガをすると大きかったので、ケガをさせないように、私も気をつけていました。内転筋の肉離れは結構長くかかりました。ケガさえなければ、もっと活躍できたでしょうね。誠也のなかでは、もしかしたら負けた記憶の方が多いかもしれない」

 鈴木が高校を卒業して6年経った今でも、二松学舎大付の市原勝人監督は残念そうに語る。

「誠也のことで思い出すのは、やっぱり負けて悔しがっている姿ですね。誠也の場合は公式戦だけじゃないですから。練習試合だって、変な負け方をすると、そりゃもう悔しがっていました」

 時には何かに当り散らすこともあったという。

「高校生でしたからね。感情のコントロールはなかなかね......でも、それが彼のエネルギーになっていた部分もあったし、私はそこが好きでした。逆に今の高校生は、妙にわかりがよすぎて、物足りない部分があります」

 おそらく、それが実感なのだろう。

「"牙(きば)"の部分はつぶさないように......一方で、人間として当然のマナーとか常識は教えなきゃいけない。そのバランスを取ることをいつも考えていました」

 今年、ペナントレース大詰めの頃、こんなエピソードを教えてもらった。

 前日のナイターで4三振を喫した鈴木に、翌日の試合前、ある雑誌の取材が入っていた。前夜の悔しさを引きずった表情で球場にやって来た鈴木は、間に入った広報にはひと言も口をきかなかったのに、取材には懸命に気持ちを立て直すように、きちんと応じていたという。

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