9球団の誘いもあっさり拒否。慶応大左腕は1億よりスーツを選んだ (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

野球を続けなかったことに後悔はない

 野球をやめたドラフト1位候補は、スーツ姿で通勤電車に揺られるサラリーマンになった。

 会社員になるときに、自分で決めたルールがある。

「野球で仕事を取りたくなかったので、その話はしませんでした。お会いした方には、決まって『慶應の志村くん?』『どうしてプロに行かなかったの?』と聞かれましたが、適当にやり過ごして......『野球の話はもういいです』と。野球を抜きに、社会人として、会社員として戦いたかった」

 野球に関心のある取引先にとって、志村は興味の対象だっただろう。もしかしたら、サービストークのつもりだったかもしれない。それでもクールに野球の話題を切り離すところに志村らしさがうかがえるが、22歳のフレッシュマンとしては大人びて見えたのではないか。

「それまでずっと野球の世界にいたので、あえて野球関係の仕事は選びませんでした。そういう仕事に就いたら、野球以外の世界にいる人と接する機会がなくなるんじゃないかと思ったので。野球にはふたをして、いろいろな人とのつながりを広げていこうと考えました」

 野球選手として、志村にはほかの選手にはないセンスがあった。相手との力量差を冷静に測る目もあった。目標に向かってどんな努力をすればいいのかもわかっていた。しかし、ビジネスマンとしてはすべてが手探りだった。まだこの世界を戦うための武器を持ってはいなかった。

「僕は、やる気しかないと思っていました。野球というスポーツが好きで、長く続けることができた。好きだから頑張れたし、腕も上がった。いろいろな業種の会社のなかから三井不動産という会社を選んだのは、不動産の仕事と三井不動産が好きだから。それならば、ここで頑張れるはずだし、結果も出せるはずだと、前向きなプレッシャーを自分にかけました」

 入社は1989年4月、もうすぐ勤続30年になろうとしている。はじめの8年間はビルディング事業、その後は分譲住宅の用地取得を担当していた。現在は、三井不動産リアルティ株式会社ソリューション事業本部の部長を務めている。

「自分がこの仕事に合っていたのかどうか、ほかの仕事をしたことがないので比較はできません。ただ、向いていないと思ったことは一度もありませんし、野球を続けなかったことを後悔したこともありませんね」
 
野球にも仕事にも通じるものがある

 野球とビジネスの世界では異なることばかりだろう。アスリートとしての経験がそのまま生かせるケースのほうが少ないはずだ。志村にとって、野球選手としての経験が仕事に生きたという例はあったのだろうか。

「ビジネスにおいて、会社と会社の交渉でも、『結局は人対人だ』というところはあると思います。野球はチームスポーツですが、個人と個人の戦いでもあります。僕はピッチャーだったこともあって、『相手とは1対1で勝負する』という気持ちを持っている。最後は自分が戦わなくちゃいけないというのは共通する部分ですね」

 もちろん、事業を進めるうえではチームプレーが必要になる。

「長く野球をする間に、チームで戦うときに何が必要なのか、どうやって結束すればいいのかを学んできました。野球はチームプレーでもあり、個人プレーでもある。これも仕事と一緒だなと感じます。最初はよくわかりませんでしたが」

 年齢は50歳を過ぎ、ビジネスマンとしてのゴールが近づいてきている。

「学生時代の仲間たちと集まると、そういう話にもなりますね。でも、自分では走り続けている感じがあって、まだまだ伸びしろがあると思う。終点を意識することはありません」

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