9球団の誘いもあっさり拒否。慶応大左腕は1億よりスーツを選んだ (3ページ目)
メジャーに進む選手ほどの伸びしろはなかった
志村亮というピッチャーの実力はどれほどのものだったのか。それを測るために、同時期に東京六大学で活躍したピッチャーの、プロ野球での通算成績を見てみよう。
●石井丈裕(法政大学→西武ほか)
68勝52敗10セーブ、防御率3.31
●猪俣隆(法政大学→阪神)
43勝63敗3セーブ、防御率3.68
●武田一浩(明治大学→日本ハムほか)
89勝99敗31セーブ、防御率3.92
●小宮山悟(早稲田大学→ロッテ、ニューヨーク・メッツなど)
117勝141敗4セーブ、防御率3.71
●葛西稔(法政大学→阪神)
36勝40敗29セーブ、防御率3.59
●髙村祐(法政大学→近鉄ほか)
83勝102敗9セーブ、防御率4.31
このなかで最多の117勝を挙げ、メジャーリーグでもプレーした小宮山の大学時代の通算勝利数は20だった。志村の31勝には遠く及ばない。
「彼は二浪して早稲田大学に入ってきて、活躍するようになったのは3年生になってから。学年はひとつ下だったので、まだ怖さはありませんでした。4年生になったときに化けて、プロ野球でひと皮もふた皮もむけましたね。
いま、メジャーリーグで活躍する大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)も、田中将大(ニューヨーク・ヤンキース)も、ダルビッシュ有(シカゴ・カブス)も、高校時代から絶対に成功すると思われていました。そんな選手でも、プロに入ってからものすごい努力をして、チャンスをものにして、さらに運やツキにも恵まれて今があるわけです。そんな彼らでも、どこかで挫折していたかもしれない」
勝負の世界に絶対はない。その年の活躍も将来を保証するものではないからだ。常にバージョンアップしていかなければ、ユニフォームを脱ぐ瞬間がやってくる。志村は自身の可能性をどう感じていたのだろうか。
「プロ野球に入ったとしても、そこからすごく伸びそうだというイメージはありませんでした。自分の課題はわかっていましたし、改善点は見えていましたが、現在メジャーリーグで活躍している選手たちと比べたら伸びしろはなかったでしょうね」
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