「史上最高の日本シリーズ」は森祇晶と野村克也の「不動」の戦いだった (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

野村監督の「口撃」を受け流すのも戦術のひとつ

――あらためて、スワローズ・野村克也監督について伺います。シリーズ前には、野村さんから「西武はスパイ行為をしている」などの「口撃」もありました。この点はどのように受け止めていたのですか?

 あの人は、そういうところがすごいよね(笑)。でも、僕は野村さんの挑発には一切、乗らなかった。乗ったら負けよ。それもまた野村さんの戦術のひとつなのかもしれないけど、何も語らないのも戦術だから。僕が挑発に乗ってペラペラしゃべったら、マスコミが喜ぶだけではなく、まさに野村さんの狙い通りになってしまう。だから、こっちとしては黙して語らずで、ケンカをしない策を選んだんです。

「野村ヤクルト」との戦いを振り返る森氏 photo by Hasegawa Shoichi「野村ヤクルト」との戦いを振り返る森氏 photo by Hasegawa Shoichi――現役時代から、森さんと野村さんは親交があったと言いますね。お互いの手の内を知り尽くしているという感じなのでしょうか?

 現役時代に、何度か野村さんから貴重な情報を得たことはあったけど、それはあくまでもヒントだったわけです。ただ、お互いにキャッチャー出身だったので、結果から逆算して物事を考える発想法は一緒だったと思います。これまで言ってきたように、ひとりの選手を途中出場させるとき、相手がどう出てくるかを読む。「たぶん、こう出てくるだろうから、こういう手を打とう」と、こちらは考える。当然、相手もこちらの手を考えている。絶えずお互いに、二の矢、三の矢を用意しているんです。

――1992年第7戦、7回表1アウト二塁の場面で森監督は左打者である鈴木健選手を代打起用。「当然、岡林を交代させて、左投手が出てくるだろうと思った」と、当時のインタビューでおっしゃっていましたね。

 そう。でも、野村監督は、この場面で岡林を代えなかった。それで、「岡林と心中する覚悟なのか」と野村監督の心理を推し量る。そういうことの繰り返しでした。

――心理を推し量った結果、じっと我慢して「動かない」という選択もあるわけですね。

 このシリーズでは辛抱ということを学んだよね。腹をくくれるか、くくれないか。そして、腹をくくったのならば「お前に任せた。これでダメならしょうがないじゃないか」という気になれるんだよね。あのときはさすがに、コーチ陣は誰も「ピッチャーを代えましょう」とは言わなかったよ。相手は「石井を代えてほしい」と思っていて、もしもこちらが代えてしまったら、それこそ、野村監督の術中にハマってしまうわけだから。

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