プロ野球におけるプレーオフの歴史。パ・リーグには幻の制度があった (3ページ目)
結局、この制度が適用されたのは1985年までの3シーズンで、レギュラーシーズン1位となった西武(83年、85年)、阪急(84年)は、最後まで手綱を緩めることなく戦い、この理不尽なプレーオフ制度を戦うことなく、優勝を飾っている。
プレーオフ廃止後、それから約20年間はペナントレースを勝ち抜いたチームが、頂上決戦である日本シリーズに臨んだ。交流戦のないこの時代、日本シリーズはまさにリーグ同士のプライドがぶつかり合う場で、プロ野球シーズンの最後を飾るにふさわしいものだった。とくに1980年代半ばから1990年代前半にかけて、西武が黄金時代を築き"球界の盟主"に君臨。その圧倒的な戦いぶりは、秋の風物詩となった。
しかしその西武も、1990年代半ば以降、リーグ優勝はするものの、日本シリーズで勝てなくなり、黄金時代も終焉を迎えた。かつて「人気のセ、実力のパ」と言われた両リーグの関係も、2000年代に入り、3年連続でセ・リーグの後塵を拝するようになると、パ・リーグは存続の危機に立たされることになる。
2004年、その打開策として発表されたのが、レギュラーシーズンの上位3チームがプレーオフで優勝を争うというものだった。
シーズン2位と3位のチームが3戦制(先に2勝したチームが勝利)の「ファーストステージ」を戦い、その勝者が1位のチームと優勝を賭け、5戦制(先に3勝したチームが勝利)の「セカンドステージ」を争うというものだ。
これが発表された当初、セ・リーグ側、とくに巨人の総帥である渡邊恒雄は「シーズン3位のチームが日本シリーズに出てきたら、我が巨人軍は相手をしない」と激しく批判したが、このプレーオフ制度もあってパ・リーグが人気急上昇となると、2007年からはセ・リーグもポストシーズンを導入することになった。これが現在のCSである。
この制度をめぐっては、冒頭でも述べたように、近年、その是非を問う声が大きくなっている。昨年はセ・リーグをぶっちぎりで制覇した広島が、レギュラーシーズン3位の横浜DeNAにCSで敗れ、日本シリーズに進めなかった。
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