広澤克実が西武戦を語る。IDとは視点の変更。優勝の原動力は古田だ (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――練習や技術で磨くことのできる「有形の力」と、データを駆使して頭を使う「無形の力」があって、ID野球とは「無形の力」を重視した野球ということですか?

広澤 そういうことです。野村さんの野球は、無形の力で頭を使って考える野球。つまり、戦術とか戦略だね。だから、最強なのは有形の力を持ちながら、無形の力を持つこと。野村さんはそれを目指したんじゃないのかな? でも、そんな野村さんにも弱点はあるんです。

――その「弱点」とは?

広澤 野村さんの理論は、戦術、戦略、モチベーションなんです。つまり「考え方」を教えてくれるものなんだけど、野村さんには技術論にやや欠点があるんです。たとえば、150キロのボールやスライダーを打てないバッターにどうやって打たせるのか。ストライクが入らないピッチャーはどうすればコントロールがよくなるのか。そういう技術論が少し抜け落ちているんです。

――それでも、1992年、1993年のヤクルトは本当に強かったですし、1990年代を通じて黄金時代を築いていきます。その要因はやはり、野村さんのID野球だったのでしょうか?

広澤 野村さんのID野球はもちろんですけど、あの頃のヤクルトの強さを支えたのは、やっぱり古田敦也ですよ。オフェンスもディフェンスも兼ね備えたキャッチャーでしたから。その中での僕の役割は、チームリーダーというより、弱い時代から支えてきたムードメーカー。そんな感じじゃないのかな(笑)。

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