鳥越コーチ、熱い指導の原点は「星野さんより100倍怖い」あの人物 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 当然ながら、親と同じように向き合うといっても、ただ日常生活から選手を厳しく見守るだけではない。ホークス時代、守備コーチとしてノックをすれば、一球ずつ、心を込めて打った。一瞬たりとも気を抜かずに打つことで、練習であっても試合と同じ集中度と真剣味が生まれる雰囲気を選手間にもたらした。わずかでも気の緩みが見える選手がいれば、実績十分で何度もゴールデン・グラブ賞を受賞した主力選手でも厳しく叱った。

 はたして、そこまで徹底して指導する姿勢はどこでどう培われたのか。特に影響を受けた指導者はいたのだろうか。

「13年間の現役生活すべてでしょうね。中日から始まってダイエー、ソフトバンクでやらせてもらいましたけど、それぞれの会社から、首脳陣の方から、出会った人すべてですね、いいものも、悪いものも......。

 たとえば、上の人から理不尽な感じで言われたときに、正直、おかしい、こんなんありえないだろうって思ったこと。自分が指導する立場になったとき、そういうことは絶対、自分ではやりたくないという思いがありました。確かに、コーチとして選手を厳しく叱ってきましたけど、それにはそれなりの理由があるわけで。そういう面で唯一、名前を挙げるとしたら、島野育夫さんです」

 島野は現役時代、中日、南海(現・ソフトバンク)、阪神で18年間、外野手としてプレーし、1980年限りで引退。その後、阪神、中日でコーチを務めた。星野仙一が中日、阪神で監督を務めた際に重用され、作戦参謀として不可欠な存在だったことで知られる。

 2007年に63歳の若さで鬼籍に入り、星野も今年1月に逝去したが、いずれも生前、中日時代の鳥越を指導した野球人である。そのなかで島野と鳥越が出会ったのは1995年、阪神から移籍した島野が二軍監督に就任したときだった。

「島野さんはですね......あの人、星野さんよりも100倍ぐらい怖かったです。あるとき『この人に殺される......』と本気で思ったことがあります(笑)。星野さんにとって僕は明治大の後輩でもあり、それはもうボコボコにやられましたけど、『殺される』とは思わなかった。でも島野さんには1回だけ、うしろからグワーッて来られたときがあって、殴られてはいないんですけど、目に血管がグーッと出てたんで、『うわっ、殺される......』って」

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