打って、走って、送って、守れる男。今宮健太は「野球小僧」に生まれた (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 また、物心がついたときから大のホークスファンで、子どもの頃、家族旅行で向かう先はいつも福岡だった。朝早くに大分を出発し、雁ノ巣でファームの練習を見て、そのあと近くのバッティングセンターで打ち込み、夜はヤフオクドームでナイター観戦。「いつか自分もこの場所でプレーしたい」という思いを抱き、大分へ帰っていったという。
 
 小学1年から上級生に交じってプレーし、6年になるとキャプテンでエースを任された。中学時代も活躍したのち、強豪校である明豊に進学した。

 今宮のプレーを初めて見たのが、高校1年秋の神宮大会だった。チームは2回戦で明徳義塾(高知)に敗れたが、今宮は「1番・ショート兼ピッチャー」として堂々のプレーを披露し、何より印象に残っているのが試合後のコメントだった。

「絶対また明徳とやって勝ちたい。同じ相手には負けたくない」

 あどけなさが残る表情とは裏腹の強烈な負けず嫌いな性格。そうした雰囲気と攻守にマルチな才能を見せる今宮に、無限の可能性を感じた。

 そこからチームの中心選手として3度の甲子園に出場。高校通算62本塁打に、投手としても最速154キロをマーク。ショートの守備でも高校生離れした超人的なプレーを次々と披露。「打つのも投げるのも守るのも、全部極めたい」と語っていたように、まさに根っからの"野球小僧"だった。

 今年行なわれたDeNAとの日本シリーズでも、今宮は随所で野球小僧ぶりを見せつけた。なかでも、リプレー検証の末に決勝点となった2戦目の走塁は、今後も語り継がれるであろう名場面となった。

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