3A時代の盟友もうらやむ、大家友和の「流浪だけど幸せな野球人生」 (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Getty Images

 大家は翌シーズンから独立リーグのルートインBCリーグに身を投じ、ここでナックルボーラーへの転身を模索することになる。

 筆者は2013年、富山サンダーバーズのユニフォームを着て、マウンドから懸命に遅球を投げ込む大家の姿を見ている。

 その試合、大家はマウンドを支配できずに苦しんでいた。このレベルであるなら、普通にストレート主体のピッチングでも十分に通用したはずだ。しかし、あえて新球に取り組んでいたのは、彼の目指すところがメジャーのマウンドだったからにほかならない。翌年の春、大家はメジャーのキャンプに参加していた。

「投げる場所がある限り、投げ続ける」
「目指すのは、あくまでメジャー」

 大家は自身の野球哲学を貫いた。はね返されても、はね返されても、メジャーを目指してプレーの場を求めた。結局、2014年はアメリカの独立リーグで過ごし、翌年は再びBCリーグの富山に復帰。ここでもシーズン中にリリースされたが、その後、同じBCリーグの福島ホープスでプレーを続けた。

 昨年、3年ぶりに見た彼のマウンド姿からは、明らかな成長を感じた。ナックルボーラーとしてマウンドを支配するする姿がそこにはあった。

 そして41歳で迎えたこの春、大家はメジャーの舞台を目指し、再びアメリカに渡った。

 結局、これが大家にとっての最後の挑戦となった。ボルチモア・オリオールズのマイナーキャンプに参加していた大家だったが、キャンプ終盤にリリースを通告された。フロリダの真っ青な空は、メジャーを目指して階段を駆け上がろうとしていたあの頃のままだったが、その青空の下で汗を流す大家の頭髪には白いものが増えていた。

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