傷だらけのドラフト1位が、人気球団の重圧から解放されて思うこと (4ページ目)

  • 取材・文:元永知宏 Text by MOTONAGA TOMOHIRO
  • photo by Kyodo News


──リハビリ中は、トレーナーに「焦るな」と言われても、どうしても焦るもの。注目度の高いドラフト1位だけに、批判記事も書かれましたね。

「それまで経験がなかったので、精神的に参ってしまいました。記者だけでなく、誰にも人に会いたくなくて寮の自室に閉じこもって。チームメイトとも顔を合わせたくない時期もありました。2年目にリハビリを終えて復帰したものの、また左ひざを痛めて戦列離脱。手術した箇所が治りきっておらず、走れなくなったのです。2年目のオフに靭帯の移植手術を受け、リハビリ生活に逆戻り。リハビリ期間は1年を超えました。

 この時期ですね、野球が嫌いになったのは。以降もずっと、ケガ→リハビリ→復帰→ケガの繰り返しだったような気がします。アマチュア時代は多少痛いところがあってもプレーできていたのですが、プロでは通用しませんでした」

──03年、星野仙一監督の阪神は18年ぶりのリーグ優勝を飾りましたが、的場さんの出場機会はゼロ。04年は2試合だけ。2年ぶりにリーグ優勝した05年は、一軍で一度も出場できず、オフに戦力外通告を受けました。阪神での6年間で出場試合は24。ヒットは7本。ドラフト1位選手としては寂しすぎる数字です。

「ついに来たか、という感じ。肩を脱臼したことで満足にボールを投げられない状態でした。6年間を振り返ると、ほとんど一軍でプレーできず、入団前に描いたものとはまったく違った。こんなはずでは......という気持ちもあったのですが、これでドラフト1位、プロ野球選手という肩書を外すことができるとホッとした自分もいました。本当に重いものを背負っていたんですね。もちろん、『野球をやり切った』とは思えませんでした」

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