西武・秋山翔吾は愚直に打撃を究める「修行僧」か!? (5ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

「インパクトゾーンの長いバッター」――それが、秋山の高校の時から「打者・秋山翔吾」に抱いていた印象だ。投球を線としてとらえ、自分の体の前方でも、真ん中でも、もしかすると捕手のミット直前でも打つことができる。そうした卓越した技術を持った選手として見ていた。

 今のバッティングを見ていると、そうしたメカニズムが完成目前のように見える。なぜなら、投手の指先からボールが離れた瞬間から、あたかもボールとバットがお互いを呼び合っているように見えるからだ。

 ある時、快打を重ねる秋山に「良かったね」とメールすると、こんな言葉が返ってきた。

「ダメです、全然ダメです。ちょっとくらい良くても、あくまで通過点ですから」

 彼はいつも自己否定し、用心深く客観的に状況を見つめながら、ここまで成長してきた。

「若いんだからもっと喜べよ。修行僧じゃあるまいし……」

 そんな言葉をかけたこともあった。そんなことを思い出しながら、今ふと思う。

 修行僧――秋山はそれでいいのかもしれない。ちょっと一軍で活躍すると、たちまち人気者になったと勘違いする選手が多い中で、ひとりぐらい頑固に、謙虚に、愚直に“野球道”を究(きわ)めようとする選手がいてもいいのではないだろうか。秋山にはそうした姿が似合う。

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