難病からの完全復活。ソフトバンク大隣憲司物語 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

「今年は真価が問われるシーズンになる」――開幕前から大隣は強い決意を滲(にじ)ませていた。

「もう病気だったことは過去の話。もちろん、支えてくれた方々や応援してくれた人たちへの感謝の気持ちを忘れることはありません。だけど『復活』などと言われるのは昨年で終わり。今年はひとりの投手としてガチンコで勝負したいんです」

 大隣が最初に体の異変に気付いたのは、2013年4月29日、ロッテ戦に先発する朝のことだった。遠征先の千葉のホテルで目覚めると、左足に力が入らない。「ぼわーっとする感覚でした」。前日まで何ともなかった。球場に到着しても変わらない。「もともとヘルニアを患ったことがあるので、その影響かも」と球団スタッフに言われ、とりあえず試合には投げた。6回1失点で勝利投手に。だが、日が経つにつれて、足の異変は悪化するばかりだった。5月30日、ヤフオクドームの広島戦でも勝ち投手になったが、「もう限界です」と投手コーチに打ち明けた。この頃には階段を上り下りするのもやっとの状態だった。

 検査を受けると黄色靱帯骨化症と診断され、数日間思い悩んだ末に手術を決断した。黄色靭帯骨化症とは、脊髄の後ろにある黄色靱帯という靭帯が骨化することで発症する疾患で、国が指定する難病である。骨化した黄色靭帯が脊髄を圧迫することで、足が痺れるなどの症状が起き、歩行も困難になる。

 手術が行なわれたのは6月15日。背中にメスを入れ、背骨の一部を取り除いた。手術の前は「もう投げられないかもしれない......」と恐怖に見舞われたが、それでも「もう一度マウンドに立ちたい」という気持ちが大隣を駆り立てた。術後2日間は寝たきりだったが、3日目には自力で歩きトイレに行った。

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