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【MLB】大谷翔平が気兼ねなくフルスイングできる理由−−悲惨な事故を乗り越えてたどり着いたメジャーリーグ球場の安全対策の歴史 (2ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【転機となったヤンキースタジアムの事故】

 ところで、大谷のフルスイングを見てつくづく思うのは、まさに絶好のタイミングでメジャーに来てくれたということだ。もし昔だったら、今のように思いきりバットを振ることはできなかったかもしれない。

 8月4日のセントルイス・カージナルス戦3回、大谷はカウント1-1から内角低め87マイル(約139キロ)のチェンジアップを強振。強烈な打球は約70メートル先、一塁側内野スタンドにいた警備員パトリック・トーレスさんを直撃した。

 テレビ中継では、その瞬間がアップで映し出された。大谷は打球の行方をしっかりと目で追い、トーレスさんに当たった瞬間に痛そうに顔をしかめていた。実際、その回が終わると、クリス・ウッドワード一塁ベースコーチがベンチに戻るのを待っていて、「警備員の人は大丈夫でしたか?」と声をかけたという。コーチは「大丈夫、肩に当たっただけで平気だったよ」と答えたそうだ。こうした気遣いはこの時だけではない。大谷が自分の打球で誰かをケガさせていないか、常に気にかけている様子を、これまでにも何度か目にしてきた。

 MLBの球場は日本とは異なり、かつてはフィールドと内野スタンドを隔てるネットはごく限定的だった。ホームプレート後方には巨大なバックネットが設置されていたが、一塁側・三塁側のダグアウト付近やファウルゾーンの観客席はフィールドとの距離が非常に近いにもかかわらず、ネットはなく、ファウルボールや折れたバットが観客席に飛び込みやすい状況だった。

 MLBは長らく「観客はファウルボールに注意すべき(the assumption of risk)」との立場を取り、ネット拡張には消極的だった。しかし打球速度は年々上がり、危険度も高まり事故が増加。2015年12月、MLBは初めて公式に「少なくともホームプレートからダグアウトの端まではネットを設置するよう」各球団に推奨した。

 それでも2017年9月、ヤンキースタジアムで衝撃的な事故が起きる。トッド・フレイジャーが放った時速105マイル(168キロ)のライナーが、三塁側の前から5列目に座っていた2歳の少女の顔を直撃し、近隣の医療センターに搬送されたのだ。当時のヤンキースタジアムでは防護ネットがダグアウトの手前、ホームプレート寄りで途切れていた。

 試合後、フレイジャーは涙ながらに語った。

「自分にも幼い娘がいる。最悪だ。彼女が無事であることを願っている。こんなことは絶対に起きてほしくなかった。本当に辛い」

 その晩、ロブ・マンフレッドコミッショナーは「球界全体で議論が続いている。2年前にガイドラインを出したが、その後は各球団が自分たちの球場に合わせて、どこまでネットを伸ばすべきか検討している」と説明した。しかし翌日には「今回の事故を受け、ネット拡張推進の取り組みを倍増させる」と強い口調で方針転換を表明している。

 こうして大谷がメジャー1年目を迎えた2018年シーズンから、すべての球団がダグアウトの背後まで防護ネットを拡張した。しかし、それでも安全対策としては十分ではなかった。

 2019年5月、シカゴ・カブスのアルバート・アルモラJr.がヒューストン・アストロズ戦で放った打球が、ダグアウトより先の内野スタンドに飛び込み、少女を直撃。頭蓋骨骨折という重傷を負わせる事故となった。この衝撃的な事件を受け、シカゴ・ホワイトソックスやワシントン・ナショナルズがいち早く外野のポール際までネットを拡張。その後、2020年シーズンまでにほぼすべての球場で、ポール付近まで防護ネットが設置された。

 ドジャースタジアムもダグアウトから約38メートルにわたりネットを延長した。そこから先はスタンドが外側に広がる構造のため、ライナー性の打球が観客席に飛び込みにくい設計になっている。しかし、大谷の強烈なラインドライブは鋭くフックし、ネットの先にあるスタンドへ。そこで警備員のトーレスさんの右肩を直撃したのだ。試合翌日、筆者がトーレスさんに話を聞くと、彼は「大丈夫だよ」と照れくさそうに笑っていた。

つづく

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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