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背番号21に刻まれた信念 ニカラグアで見たロベルト・クレメンテの遺産と野球への愛 (3ページ目)

  • 加藤潤●文 text by Kato Jun

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【伝説の生きるマスコットに遭遇】

 試合前、観客が入る前のスタンドへ足を運んだ。クレメンテの背番号21のユニフォームの前で、NPBの4球団を渡り歩いた藤岡好明がウォームアップする姿を眺めていた。開場前にもかかわらず、スタンドで腰を下ろすおじいさんの姿が目に入り、思わず声をかけた。地震発生当時の体験談を聞ければと思ったからだ。

 ところが、私のスペイン語力不足なのか、それともおじいさんのご高齢のせいか、名前すら聞き取ることができなかった。あきらめて近くにいた警備員に尋ねると、「クロドミロ・エル・ニャホ」だよと教えてくれた。

「えっ、ひょっとしてサンホセで出会った兄弟が話していた"生きるマスコット"の方?」 

 警備員は続けて言った。

「彼の本名は何だったかな? 本人も自分のことをクロドミロと呼んでいるよ。じつはこの国の有名なバンドが彼についての歌をつくっていて、その曲が球場で流れるんだ。もちろん彼もその場にいて、ファンもノリノリになるんだよ」

 ちなみに、スペイン語で「ニャホ(ñajo)」とは「鼻声で話す人」という意味だ。ああ、それならば、私が彼の言葉を聞き取れなかったのも仕方がないのかなと、そう自分に言い聞かせた。

 ひとりの年老いたファンが人気バンドの歌になる──ニカラグアで野球が文化として根づき、国民に深く愛されていることの証だろう。

「ニカラグアに来たら連絡をちょうだい。必ず案内するから」

 そう言ってくれたロナルド・メドラノとの再会は、今回は叶わなかった。メドラノはメキシコのウィンターリーグで活躍しており、帰国予定が延びていたのだ。彼にとってはうれしい誤算であり、元同僚として、私もその活躍を心から喜んでいる。

 もしドミニカ共和国でのあのひと言がなければ、彼の母国を訪れることもなく、この連載を思いつくこともなかっただろう。今の自分へと導いてくれたメドラノに、心から感謝している。

 12月23日、隣国ホンジュラスを目指し、国境行きのバスに乗り込む。この日は、ニカラグアにとって52回目の震災記念日。そして、クレメンテの命日は8日後だ。

つづく>>


ロベルト・クレメンテ/1934年8月18日生まれ、プエルトリコ出身。55年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たし、以降18年間同球団一筋でプレー。抜群の打撃技術と守備力を誇り、首位打者4回、ゴールドグラブ賞12回を受賞。71年にはワールドシリーズMVPにも輝いた。また社会貢献活動にも力を注ぎ、ラテン系や貧困層の若者への支援に積極的に取り組んだ。72年12月、ニカラグア地震の被災者を支援する物資を届けるため、チャーター機に乗っていたが、同機が墜落し、命を落とした

著者プロフィール

  • 加藤 潤

    加藤 潤 (かとう・じゅん)

    1974年生まれ。東京都出身。中日ドラゴンズ通訳。北海道日本ハムファイターズで通訳、広報、寮長に就いたのち、2011年から現職。シーズン中は本業をこなしながら、オフには海外渡航。90ヶ国を訪問。稀に文章を執筆。過去にはスポーツナビ、中日新聞、朝日新聞デジタル版に寄稿。またコロンビアのTV局、テレメデジンとテレアンティオキアに話題を提供。現地に赴き取材を受ける

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