大谷翔平が戦い続ける「完全二刀流」への懐疑的な固定概念 その常識を封じ込める三者連続奪三振劇とさらなる成長の可能性 (3ページ目)
【大谷の凄みを見せつけた三者連続奪三振劇】
先のことを心配するのは、ひとまず置いておこう。7月12日のサンフランシコ・ジャイアンツ戦、今季5度目の「二刀流」での出場で、大谷は見事なピッチングを披露し、後半戦でのさらなる飛躍を予感させた。圧巻だったのは初回の投球だ。先頭のマイク・ヤストレムスキーを99マイル(158.4キロ)の速球で空振り三振に仕留めると、続くヘリオット・ラモスも99.9マイルのフォーシームで空振り三振。そして3人目のラファエル・デバースにはスライダーでスイングを誘い、三者連続三振。前回登板(ヒューストン・アストロズ戦)に続く、2イニング連続での「三者連続奪三振劇」となった。
この日の大谷の投球について、ドジャースのロバーツ監督も興奮気味に語った。
「すべては翔平から始まった。彼が登板する日は、チームの雰囲気が明らかに違う。初回の三者連続三振で、その流れができた。翔平が流れをつくり、チームにすばらしいスタートをもたらしてくれた」
2回は2死から李政厚に対して4球連続ボールで四球を与えたものの、すぐに修正。内角にスイーパーと速球を巧みに織り交ぜ、ケイシー・シュミットを詰まらせて3アウト目を奪った。3回はドミニク・スミスをポップフライに打ち取り、パトリック・ベイリーをスライダーで見逃し三振。ヤストレムスキーにヒットを許したが、最後はラモスを中飛に打ち取り、計36球で3イニングを無失点に抑えた。
ドジャースはこの試合を2対1で制し、連敗を7で止めた。チームに勢いを呼び込むその投球は、大谷がただの投手ではなく、勝利をもたらす力を備えた「真のエース」であることをあらためて証明した。連敗中の登板というプレッシャーのなか、どのような気持ちで臨んだのかと問われると、こう語った。
「先制点を与えないのが先発ピッチャーの役目なので、そのなかで長いイニングを投げていくということを意識しました。今日はいい立ち上がりだったと思います」
二刀流復帰後、最長となる3回を投げきったことについては、「球数も少なめに3イニングを投げられたのは、いい進歩。比較的コマンド(制球)が安定していて、常にゾーンを攻められたことがよかった要因かな」と振り返った。この日は全36球のうち23球がフォーシームと力で押した。
「今日はストレートでいけそうな雰囲気があったので、どんどん投げました。そうじゃないときは変化球でカウントも空振りも取れる。どちらを選んでもいけるというのが理想」
速球は、投手大谷の"原点"でもある。しかし、そのこだわりには年齢とともに変化もある。
「速い球を投げるというのは、小さい頃から憧れていたこと。速いピッチャーが好きで、そこを目指してやってきた。今もそれは好きですけど、最近は変化球を投げて打者を崩す楽しさも感じています。100マイルだけを投げるんじゃなく、100マイルも投げられるというのが、今の自分の武器かなと」
スイーパー、スライダー、スプリット、カッター、カーブなど多彩な変化球を自在に操り、制球力と駆け引きでも勝負できる。投手としての完成度が高まっている。速球がこれだけスピードが出ていると、ケガの再発を心配する声もある。しかし、その懸念を払拭するように、大谷は「勝手に球速が出ている感覚があるので、それが一番いいことじゃないかなと。コマンドを重視しながら、まずリズムをつくることを第一に考えて、自然に球速が出ている。そこが今の一番よいところかな」と語った。
20代前半と変わらぬ体力、そして31歳の経験値。すべてを兼ね備えた大谷が、後半戦に再び「二刀流」で大暴れし、ドジャースを優勝へと導く姿に期待したい。
著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。
大谷翔平 (おおたに・しょうへい)
1994年7月5日生まれ。岩手県水沢市(現・奥州市)出身。2012年に"二刀流"選手として話題を集め、北海道日本ハムからドラフト1位指名を受けて入団。2年目の14年にNPB史上初の2桁勝利&2桁本塁打を達成。翌年には最多勝利、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を獲得。
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