【MLB】大谷翔平とマイケル・ジョーダンに共通する「完璧なイメージ」 ジョーダンの例に見るその葛藤と今後の大谷へ期待することーー
大谷(左)とジョーダンは偶像化される宿命を背負いつつ、高みを追求する photo by Getty Images
大谷翔平とマイケル・ジョーダン 後編
現在のMLBにおける大谷翔平の活躍は、1990年代にNBAを世界的リーグへとの押し上げたマイケル・ジョーダンと重なって見える−−。
野球とバスケットボールという異なる競技ゆえ、違いもあるが、競技に対するメンタリティや周囲に与えた影響は共通点が多い。ただ、かつてのジョーダンはその存在が偶像化されるなか、実際の自分自身との乖離に苦しい思いをしてきたことも事実。
ジョーダンが抱えてきた苦悩、そして大谷がアメリカ社会の中で果たしている役割とは−−。
【完璧なヒーローであることに疲れたジョーダン】
1990年代のマイケル・ジョーダンと現在の大谷翔平を比べると、その世界的な人気やアメリカでの知名度には明らかな差がある。それはバスケットボールと野球という競技そのものの人気の違いでもあり、さらに、試合の重要な場面でスター選手がボールを支配できるスポーツと、分業制が基本のスポーツという構造の違いによるものだろう。
それでも筆者が1992年のジョーダンと2025年の大谷に共通点を感じるのは、スポーツヒーローとしての「完璧なイメージ」だ。ふたりともその競技に革命をもたらし、前人未到の記録を打ち立て、さらにルックスもよく、高い好感度を誇る。そうした魅力に惹かれ、多くの企業が競うようにスポンサーに名乗りを上げる。
結果として、ふたりはクリーンで傷ひとつない完璧な存在として偶像化されていく。しかし、現実にはそんな完璧な人間はほとんどいない。ジョーダンは2度の3連覇を達成しているが、その間に一度バスケットボールから退き、野球に挑戦した。その背景にはさまざまな理由があったが、そのひとつに「完璧なヒーローであることに疲れた」という思いがあった。
2020年に制作されたドキュメンタリー『ラストダンス』のなかで、ジョーダンは当時の苦悩を振り返っている。
「俺の評判は、最初はよかった。いつもよい話題で聞くのもうれしかった。でも、それは偶像化された姿だった。次第に批判が聞こえてくる。だから世間にあまり知られないよう、人前に出なくなった。
ロールモデル(人々が模範とするような人物や、目指すべき理想的な人物)になろうとするのは、勝ち目のない戦いに挑むようなものだ。人それぞれが勝手に理想像を描き、それを押しつけてくる。手本になれるよう振る舞ってきたが、全員を満足させることなど不可能なんだ」
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著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。