「スピードが命」から日本で変身。マイコラスは菅野智之を参考に成長した (2ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Getty Images

 その後、カーディナルスは41勝28敗の快進撃を見せ、シーズン終了前日までプレーオフ争いを演じた。

 シーズン初めにカーディナルスと2年契約を結んだ時は、"マイコラス"の名はそれほど知られているわけではなかった。しかし今シーズン、マイコラスが残した成績は、18勝4敗、防御率2.83。メジャーでは無名だったが、マックス・シャーザー(ワシントン・ナショナルズ)やジョン・レスター(シカゴ・カブス)と並んで、ナ・リーグの最多勝に輝いたのだ。

 この結果について、マイコラスは日本での経験を挙げ、3年間で何があったかを話してくれた。

「あきらかに野球がうまくなったんです。投げるボールもよくなりましたし、コントロールもよくなったんです。日本では先発に固定され、その役割をまっとうできたからだと思うのです。それによってピッチングの技術を微調整し、同じことを何度も繰り返せたのがコントロールの向上、ストレートの威力アップにつながったと思います」

 来日するまでのマイコラスは、アメリカでありがちな"スピードが命"の投手だった。「何がなんでも速さで押せ」と考えていたという。

 2009年にパドレスにドラフト7巡目で獲得されるまで、マイコラスはずっと先発投手として活躍していた。しかし、パドレスのマイナーではブルペンを任されることになった。

 アメリカのマイナーでは、とくに中継ぎで起用されるピッチャーがメジャーに上がる際に一番の近道となるのが球速である。そうした理由もあって、マイコラスは長年、スピードを追求しながら過ごしてきた。

 その後、テキサス・レンジャーズに移籍したマイコラスは、解雇になる前、先発投手に昇格した。しかし、1イニングを全力投球するリリーフと違い、キレのいいストレートを長いイニング投げることに苦労した。

 ボールのキレ、コントロールをつけるのにどうすればいいかと考えていた時に、ちょうど日本からオファーがきた。マイコラスは「最高のタイミングでした」と振り返る。

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