ラミちゃんも弟子。名選手を育てた
「赤鬼・マニエル」の眼力

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Getty Images

 クリーブランド・インディアンスなどで活躍したジム・トーミは、22年間の現役生活でMLB史上8位となる通算612本のホームランを放った。そのトーミは今年7月に米国野球殿堂入りを果たし、ニューヨーク州クーパーズタウンで表彰を受けた。

 スピーチでは、長年の恩師に対して心から感謝の意を表した。

フィリーズの式典で久しぶりに顔を合わせたチャーリー・マニエル(写真左)とジム・トーミフィリーズの式典で久しぶりに顔を合わせたチャーリー・マニエル(写真左)とジム・トーミ その恩師の名は、チャーリー・マニエル。マイナーとメジャーの両方で監督としてトーミを指導し、メジャー屈指の強打者へと育て上げた人物だ。日本にも馴染みがあり、1976年から81年にかけてヤクルトと近鉄で6シーズンプレー。NPB通算189本塁打を記録し、近鉄時代の1980年には本塁打王と打点王の二冠を達成。"赤鬼"の愛称でも親しまれた。

「ガルフコーストリーグでまだ駆け出しの頃、チャーリー・マニエルと初めて出会ったのですが、その瞬間から『彼とは縁がある』と感じていました」と、トーミはスピーチで語った。

「チャック(マニエルの愛称)は、まだ荒削りで、それでいてホームランを量産したいと思っているこの青年の野望をあと押ししてくれたんです。フロリダ州キシミーのダグアウトで『いくらでもホームランを打てるよ』と言ってくれた。彼はいつも私を信じてくれていました」

 1993年のある夜、マニエルは野球映画の名作『ナチュラル』でロバート・レッドフォード演じるロイ・ハブスを見て、トーミの育て方の大ヒントを得たという。

 マニエルはトーミに、バットの先端をピッチャーに向け、「一瞬間(ま)を取れ」とアドバイスした。構えている時に、ひと呼吸入れてリラックスさせるためだ。この構えがトーミのトレードマークになったのだが、技術面においても大きな武器となった。

「チャックからスクラントンのオフィスに呼ばれた時のことは一生忘れません」とトーミが言い、こう続けた。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る