2002年7月7日。田中将大が生まれ変わった「七夕の敗戦」のこと (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Getty Images

 中途半端なスイングで力を出せずに敗れた中学時代の悔しい経験から3年、フルスイングできた自分への思いがあの笑みにつながったということだった。

 田中が語った"中学時代の悔しい経験"のことは、今でもはっきりと覚えている。それは、のちの田中将大へとつながる真の一歩を踏み出した"あの日"のことだ。

 2002年の7月7日、兵庫県にある明石公園野球場で日本少年野球連盟兵庫支部の決勝が行なわれ、宝塚ボーイズと神戸球友ボーイズが全国大会出場をかけて戦った。

 当時、田中は宝塚ボーイズの2年生で、捕手兼投手として、主に5番を打っていた。その日、午前中に行なわれた準決勝で田中は先発マウンドに立ち勝利を収めると、決勝は捕手として出場した。

 決勝戦、3回表に神戸球友ボーイズが3点を先制すると、宝塚ボーイズも6回裏に2点を返し、1点差で最終回(ボーイズリーグは7回制)を迎えた。

 宝塚ボーイズは簡単に二死を取られたが、そこから四球とヒットで一、二塁とし、さらにパスボールで二、三塁とチャンスを広げた。打席にはチームで最も頼りになる4番の3年生。すると、相手ベンチは敬遠策を選択して二死満塁とし、ここで田中が打席に入った。

 一打同点、さらにサヨナラのチャンスもあったが、田中はカウント1-1から外のボール気味の球に中途半端なスイングでライトファウルフライに倒れ、ゲームセット。一塁ベース手前で力なくスピードを緩めた田中は天を仰いだ。

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