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【夏の甲子園2026】「プロに行きたいなんて言えない」 横浜・池田聖摩を苦しめた"エリートの重圧" 原点回帰で取り戻した本来の姿 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi

 その後も、冒頭で触れた春季大会のように、池田の苦悩の日々は続いた。このままでは、池田聖摩という才能が潰れてしまうのではないか。取材する者として、そんな危惧すら浮かんでいた。

 ところが、池田は高校最後の夏に躍動する。神奈川大会の7試合でチーム最多タイの12安打を放ち、打率.500、10打点、3盗塁を記録。チームの甲子園出場に大きく貢献している。

【重圧から解放された最後の夏】

 8月10日、横浜は沖縄尚学(沖縄)との甲子園初戦に臨んだ。左打席に入った池田を見て、あることに気がついた。

 バットを構える池田のグリップの位置が、春よりも明らかに高くなっていたのだ。

 池田は沖縄尚学のプロ注目左腕・末吉良丞のストレートを弾き飛ばし、2安打を放つ。チームは沖縄尚学の豪華投手陣を打ち崩し、7対2と快勝した。

 試合後、池田にグリップの位置を変えたのかと尋ねると、肯定の答えが返ってきた。

「夏の大会前に変えました。野球を始めた頃の打ち方が一番いいと思ったので、中学時代の形に戻したんです。これが一番しっくりきました」

 横浜入学後はさまざまなアドバイスを受けるなかで、グリップを下げる打ち方にしていたという。だが、どこか借り物のスイングという感覚が抜けなかった。

「型にハマってしまっているなと。そこから抜け出したかったんです」

 グリップの位置を上げる。たったそれだけのことだが、池田にとっては大きな変革だった。野球選手としての根源的なものを取り戻し、のびのびとプレーできるようになった。

 池田は、実感を込めて言う。

「最後の夏は『何がなんでもこの大会しかない』と余計にプレッシャーがかかると思ったら、意外とのびのびとやれていて。夏の大会前にまったくうまくいかなくて、あきらめたわけじゃないんですけど、『もう声を出すだけでいいや』って思ったんです。そう割り切ったら、気持ちが吹っ切れて。あとはやるべきことをやっていたら、意外とうまく噛み合いました」

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