【プロ野球】「世代最速」と「スーパー中学生」はなぜプロの世界で苦しんだのか 風間球打と森木大智が語った4年間の真実 (2ページ目)
今年は球速が出なくてもいい感触のボールが増えてきたんです。自分の悪いところはヒットを打たれるよりも自滅が多かった。でも見方を変えれば、打たれにくいボールを投げられていた4年間だったとも思います」
【森木と実際に会うのは初めて】
4年間はあまりにも短かった。1年目は右ヒジのケガ、2年目は腰椎分離症を発症し、ほとんどの期間をリハビリ組として過ごした。3年目にようやくファームの公式戦で初登板を果たしたものの、6試合で防御率5.40。育成契約となった今季は小指を骨折して手術を受け、二軍戦にも登板できなかった。こうして4年間のプロ生活は、結局、一度も"本来の自分の投球"を見せることがないまま幕を閉じた。
「自分は1年目に入った時、ヒジをケガしてしまって......。その時はいい状態でプロに入れた感覚があったので、完全に治すというより『少しでもやりながら治したい』という気持ちが強かったんです。そのまま痛みを抱えてキャンプに入ってしまい、フォームも崩してしまった。
そこから思うように投げられなかったというのがあって、そこは少し悔いが残ります。でも、この4年間は自分にとっていい経験でした。ミスをうまく次につなげられなかったところもありますけど、そこはポジティブに捉えていきたいです」
高校時代は甲子園に出場し、森木と共に世代屈指の注目選手と称された。しかし、2021年のU−18野球W杯は新型コロナの影響で延期となったため、意外にも森木と直接会うのはこの日が初めてだったという。
「電話で話したことはあったんですけど、実は会うのは今日が初めてで、思わず敬語で話してしまいました。でも『全然いいよ、タメ語で』って、すごくラフな感じでした(笑)。(4年で戦力外となり共感は?)もちろんあります。大智がどう思っているかはわかりませんけど、僕は4年間ずっと苦しんできて、"出したい自分"がいるのに出ないんですよ。イメージはあるのに、実際に投げると何かが違う。大智も同じなんだろうな......と思いながら見ていました。このあと、どんな野球人生になるかはわからないですけど、切磋琢磨して、いつかお互いに『いい野球人生だったな』と言えるようになりたいです」
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