検索

岡本和真が高校時代に抱いた夢と憧れ続けたふたりの強打者「世界の人にも名前を知ってもらえるバッターに」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 打者として申し分のない実績を残していた岡本だが、唯一、物足りなさを感じていたのがホームランへのこだわりだった。

 2014年のドラフトで巨人から1位指名を受けた岡本は、こんなコメントを残している。

「ケガをしない体をつくるなかで、ずっと活躍できる選手になりたい。いずれはホームラン王も獲りたい」

 その言葉を聞いて、おそらく大阪桐蔭時代の中田翔(中日)なら「ホームラン王を獲りたい」と語っていたはずだと思った。だが、当時の岡本は「ホームラン王も」というニュアンスで話すことが多く、その部分に物足りなさを感じたのかもしれない。

 高校1年の秋から4番に座り、1年時の本塁打は8本だったが、2年生になると1年間で48本塁打を量産した。その理由を聞くと、岡本はこう答えた。

「監督や部長から『3年になったらチームのことを考えてプレーするようになるから、思い切りできるのは今のうちだけやぞ』と言われて、それで打席では常に思いきり振っていこうと。その結果だと思います」

【甲子園で有言実行の一発】

 この頃の岡本は、間違いなくホームランを意識していた。それが最上級生になると、「チームのためのバッティングをしたい」や「ランナーを還すバッティングを心がけたい」など、常に意識はチームに向いていた。

 そのなかで、ただ一度だけ「バックスクリーンにホームランを打ちたい」と言ったことがあった。それが3年春の選抜直前である。その理由を聞くと、「監督から『たまには大きいことを言ってみろ』と言われて......」と明かしてくれたことがあったが、選抜初戦の三重戦では宣言どおりバックスクリーンに特大の一発を放ち、さらにその試合ではもう1本スタンドへ放り込んだ。

 甲子園という大舞台でホームランアーチストの資質を存分に見せつけた岡本だったが、それでもその後は「チームのために」という姿勢を崩さなかった。

 3年夏の大会が始まる前、ある雑誌で「岡本和真はプロでホームラン30本を打てる選手になるのか」という記事を書いた。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る