検索

藤浪晋太郎が振り返る大谷翔平との対戦、春夏連覇、そして大阪桐蔭での3年間 「一番の財産は、西谷浩一に出会えたこと」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

【高校時代の一番の財産は?】

 史上7校目の春夏連覇。大阪桐蔭での3年間は、藤浪のなかに何を残したのか。これまでも何度かしてきた質問を、今回も投げてみた。

 過去には「全国の頂点を目指して、やるべきことをやった結果」「勝ち切れたという成功体験」「妥協せず勝ちにこだわる姿勢」「仲間との出会い」など、いろいろと挙げてきたが、いつの時も「でも一番は......」と必ずついてくるひと言があり、今回も変わらなかった。

「一番の財産は、西谷浩一と出会えたことですね」

 普段は「先生」「監督」「さん」と、場面に応じて変えてくる呼称を、人生の先輩や組織のトップでも語るように、あえて省いてきた。

「ほかの学校のことはわからないですけど、あれほどの高校野球の指導者って、ほかにいるのかなと思います。高校野球の指導者というくくりだけでなく、ひとりの人間として希有な存在だと思うんです。現役の時も、信頼関係ができていくなかで伝わってくるものはありましたけど、本当のすごさがわかるのは社会に出てからですね。

 プロに入ってすぐ思いましたから。『西谷監督って、やっぱりすごい人やったんや』って。最後は人間や、ってよく言われるんですけど、社会に出て本当にそう思いましたし、そこを実践している人。そういう人と出会えたこと、考え方に触れたこと、指導してもらえたこと、すべてが自分の財産です」

 ひとつ決断が違っていれば、その出会いはなかった。これまでもしばしば、藤浪の高校時代の回想は"西谷浩一論"になるのだが、この日はさらに熱を帯びていた。

「自分のためにやってないんですよね。『コイツをなんとかしてやりたい』と、いつもそっちが勝ってるから、選手に気持ちが伝わるんです。西谷先生がお金や地位、名声のために高校野球の監督をやっていると思うようなことは、高校での3年間はもちろん、OBになってからも一度もありません」

 自身の成長のなかで、かつて見えてきた師の姿が違って見えてくるということは、決して珍しいことではない。しかし藤浪のなかにある"西谷像"は、当時も今も変わらない。

4 / 5

キーワード

このページのトップに戻る