【選抜高校野球】東洋大姫路・岡田龍生監督が振り返る46年前の記憶「1日でも長く甲子園におるぞ」の合言葉でベスト4 (2ページ目)
たしかに、投打ともそのクラスの選手がいた記憶はない。エースだった萩原健吾も、松本や、今大会のエース・阪下漣のような本格派タイプではなく、小柄な左腕。のちに関西大、大阪ガスで活躍するなかで球速も増していったそうだが、高校時代はテクニックで勝負するタイプだった。
とはいえ、際立った選手は不在でも、選手たちの気持ちとしては、「やってやるぞ!」と高まっていたのではないか。岡田に尋ねると、「なかったですね」と苦笑いを浮かべて返してきた。
「秋の兵庫大会もダークホース的な評価で、優勝候補はたしか滝川、つづいて村工(村野工業/現・彩星工科)、報徳学園......そんな感じだったんです。それがいざ大会になると、投手も野手も調子づいて村工にコールド勝ち、決勝でも滝川に10対3で勝利し優勝。自分たちでもようわからんかったですね(笑)」
【一致団結した理由】
近畿大会では初戦で栗東(滋賀)に勝利し、準々決勝で大阪2位の浪商に敗れるも、この時点で甲子園はほぼ確定だった。
「当時は近畿から7校(現在は6校)選ばれる時代でしたから、各県の1位校が一回勝ったら、まず当確だったんです」
しかし振り返ると、敗れはしたが浪商戦のスコアは5対6。近畿大会を制した相手にこの結果だ。冬に力をつければ選抜では......とならなかったのか。再び聞いたが、反応は変わらなかった。
「秋は香川がケガでいなかったんですよ。でも牛島の球は速いし、バッティングもいい。選手の力がとにかく違った。そこはやっている本人たちが一番わかりますから。それに冬の間も、選抜を見越して何か特別なことをした記憶はないですし、そもそも課題がどうこうとか考えたこともなかった。
今の僕なら一番うるさく言うところですけど、ほんまに何も考えずに言われることだけをやっていました。あの時代はどこもそうだったと思いますけど、ランニングして、うさぎ跳びをして、ノックして、怒られて、またランニング......。だから選抜前の冬も、いつもと変わらなかったですよ」
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