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「離島のハンデ」を乗り越え、センバツ出場。なぜ大島高校は甲子園までたどり着けたのか (2ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 離島甲子園とは、正式名称を「全国離島交流中学生野球大会」という。元ロッテの村田兆治氏が提唱し、離島の中学球児が一堂に会してトーナメント形式で戦う大会だ。西田は武田と同じ選抜チームだったが、居住地域の異なる大野とは別のチームだった。それでも対戦を重ねるなかで、「稼頭央の球を受けてみたい」という思いが募った。

 一方の大野は、もともと鹿児島実業への憧れを抱いていたものの、西田の思いに共鳴して島に残る決断をしている。

【大島高校の生徒の気質】

 奄美大島は歴史的に野球が盛んな土地柄だ。ジュニア世代だけでなく、草野球も郡対抗で大会があるなど島民の野球熱は高い。だが、有望な野球選手は島外に出るケースが多く、近年では泰勝利(楽天)は高校から神村学園へ、求航太郎(東海大相模)は中学から神奈川県へと移っている。

「離島の子どもは身体能力が高い」というイメージを抱く人間も多いだろう。だが、2014年4月から大島高校に赴任した塗木哲哉監督の見方は少し違う。

「鹿児島市内でも身体能力が高い子はいますし、僕は大島の子がそこまで身体能力が高いとは感じません。強いて言えば、ずんぐりとした体型でも足が速い、パワーとスピードを兼ね備えた子は多いかなという印象です」

 大島高校の生徒の気質を聞くと、塗木監督は意外なことを口にした。

「島の子は反復練習を嫌わずにできます。たとえばティーバッティングをやろうと言えば、休まずに延々と同じ練習ができる。だから技術が身につくのでしょうね」

 島の子イコール自由奔放、というわけではない。平日の練習時間は1時間半程度と短く、その大半は自主練習の時間にあてられている。大島高校の野球の土台を支えるのは、島の子の勤勉さなのだ。

 だが、昨秋の戦いぶりが盤石だったかと言えば、そうではない。とくに守備の綻びは明らかで、九州大会では記録に表れるミスも記録に残らないミスも続出した。ただし、ひとつのミスをきっかけにズルズルと相手のペースにのまれるような場面はなかった。塗木監督は「ミスするのは普段ふだんからですから、慣れているんです」と笑い飛ばす。

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