独立リーグ初のドライチ誕生なるか。細川亨監督も快速左腕に「今すぐNPBで投げられる力はある」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 5対2とリードして迎えた9回表。石森の名前がコールされ、背番号47の左腕がマウンドに上がった。

 投球練習の初球。高めに抜けたストレートは捕手が慌てて差し出したミットを弾き、そのまま10メートル以上離れたバックネットに「ガシャーン!」とぶつかった。ボールの強烈な伸びと強さに、見ているだけで度肝を抜かれた。

 いざ打者が打席に入った初球、石森は148キロのストレートをストライクゾーンの高めに突き刺した。セットポジションから右ヒザを胸付近まで上げ、バランスよく体重移動してボールを捕手寄りでリリースする。しなやかさと強靭さが共存した腕の振りから放たれたストレートは、捕手に向かってうなりを上げているように見えた。

 前述のとおり、火の国サラマンダーズの投手陣には150キロ前後の球速を誇る投手が複数いる。だが、石森の球質はレベルが違った。

 石森は「理想のストレート」をこのようにイメージしている。

「目標は、オールスター戦で見た則本さん(昂大/楽天)の真っすぐです。力強く腕を振って、テレビ越しでも威力が伝わるボール。今まで野球をやってきて、見ているだけで鳥肌が立つボールってなかなかないと思ったんです」

 この日の石森の最高球速は150キロ。全9球のうち、変化球はスライダーとフォークが1球だけで、あとはすべてストレート。この日対戦した3打者から2三振を奪い、ファウルを含めすべて打者のバットを押し込む圧巻の内容だった。

 石森は「変化球も自信はありますが、ストレートを1球も当てさせないピッチャーになりたい」と語る。そんなコメントが大言壮語に聞こえないほど、石森のストレートには力がある。たった1イニングでは足りない、もっと見ていたいと思わせる爽快なストレートだった。

 なぜ、これほどの投手が24歳になる年まで埋もれていたのか。冒頭にもあるように、石森の野球人生は高い期待を裏切り続けてきた歴史でもある。

 遊学館(石川)では小孫竜二(鷺宮製作所)、本定史好(JFE東日本)とレベルの高い同期に囲まれた。石森は当時、彼らに引け目を感じていたという。

「『あいつらはすごい』と間近で感じていて、小孫と本定に比べると自分はサブのメンバーだととらえていました」

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