大阪桐蔭、東海大相模に快勝の裏に正捕手を争う2人の熱心な研究あり (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 誰ひとりとして気を抜けない打線ではあるが、とくに警戒したのは1番の鵜沼だった。吉安は「彼が打ったら乗るので」と明かす。

 立ち上がりから鵜沼に強烈なサードライナーを浴び、冷や汗をかいたものの、藤江は快調な滑り出しを見せた。インコースのストレートだけでなく、緩い変化球を低めに集めて東海大相模を幻惑する。

 この配球は、東海大相模と対戦している昨夏の甲子園での近江(滋賀)や昨秋の関東大会での健大高崎(群馬)の映像を見て、参考にしたという。吉安は「どちらも藤江と同じ左ピッチャーなので、参考になりました」と語る。

 打っては先制のタイムリーヒットを含め、3安打で藤江を援護した。

 2対2の8回表からは、最速150キロの逸材2年生左腕・松浦慶斗をリード。履正社を3回無失点に抑えて勢いに乗る松浦に対しては、吉安は「真っすぐで押せるピッチャーなので、あとは力が入って球が浮かないように低めに集めることを意識づけました」とストレート中心に配球した。

 8回裏には、キャプテンの薮井がレフト線に放ったヒットを受けて、吉安は二塁から生還して4点目のホームを踏んだ。

「あいつ(薮井)が頑張ってきたのを見てきたので、うれしかったです」

 そんな吉安も、決して順風満帆な高校野球生活を送ってきたわけではなかった。1年時は同期捕手の清水大晟(たいせい)が期待されていた。

 大阪桐蔭では甲子園出場時に、次世代を担う有望選手がボールボーイを務める慣習がある。根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)らを擁して春夏連覇を遂げた1年時は、清水がボールボーイを務め、吉安はアルプススタンドで応援していた。

 吉安は当時を「1年の時はキャッチャーとして全然力がありませんでした」と振り返る。

 打者として評価を高め、2年春からメンバー入り。2年夏は一塁手として主軸を担った。だが、吉安の頭には「またキャッチャーをやりたい」という強い思いが残っていた。

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