高校で野球を終える3年生のリアル。帯広農は空中分解寸前だった (3ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Kyodo News

 前田監督から猶予期間を与えられ、一度は引退を決めた3年生も徐々に気持ちが変わっていく。当初から「やりたい」と言っていた梶と水上のふたりが井村を説得した。

「甲子園中止で目標がなくなって、その日は何も考えられませんでしたが、梶と水上から『北海道一でも十勝一でもいいから、もう一度目指してみないか』と。3年生として後輩に教えるとか、やるべきことがある。自分たちは創立100周年の代でもあるので、伝統をしっかり残して、いいかたちで終わりたいと思いました」(井村)

 キャプテンの腹が決まったことで、ほとんどの3年生がもう一度やる方向に変わった。

 そんな時、彼らに吉報が届く。6月2日、北海道高野連が独自の代替大会の開催を発表したのだ。さらに6月10日には、さらなるサプライズが待っていた。高野連がセンバツ出場校による"交流試合"を甲子園で開催することを決定。1試合とはいえ、一度は失った甲子園で試合をする機会を得られた。

「親から(センバツ出場決定で新調した)新しいユニフォームでプレーしているところを見たいと言われました。これで見せることができます」(水上)

「目標だった"甲子園で勝つ"ために頑張ろうとなりました」(梶)

 多くの3年生に笑顔が戻った一方で、複雑な思いを抱く選手もいた。
 
「9月に公務員試験があるので、大丈夫かな......と」(千葉)

 千葉と同じく進路の不安があった菅は、交流試合開催決定後もやめる方向だった。だが、「学校でいづらかった。このままでいいのかと思った」と最終的に戻ってきた。

 センバツ、春の都道府県大会、夏の甲子園が中止になり、3年生の進路を心配する声が上がった。プロスカウトが視察できないため、高校生のトライアウトを開いてはどうかというプロ関係者もいた(その後、8月29、30日、9月5、6日で開催することが決定した)。

 だが、これらはすべて野球を続ける人たちのことであって、ほとんどの高校球児には関係のない話である。なぜ、高校で野球をやめる人たちのことは報道されないのか。そのことについて前田監督に聞くと、こんな答えが返ってきた。

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