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20年前は弱小校→西東京で躍進。
怒りを捨てた監督がチームを変えた (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

 藤田監督に話を聞いた日、紅白戦が終わったあとに監督はキャプテンを呼んでこう言った。

「このあと、何をする?」

「守備練習をしようと思います」

「わかった。いいよ」

 監督とキャプテンの短いやりとりが終わると、選手たちはポジションごとに分かれて守備練習を始めた。

「僕は昔、『怒れないのはダメな指導者だ』と思い込んでいた。怒ることが情熱だと思っていたんです。でも、『勝ちたいのは誰だ? 俺じゃないよな、選手たちだよな』と気づいたんです」

 だから、藤田監督は選手の話をよく聞く。「で、どうする?」と。

 今年は、例年なら6月に行なう強化合宿もなくした。

「うちは、一軍、二軍を分けないで、選手には同じように練習する機会を与えています。いつもなら6月に強化合宿をして、20日くらいまでには夏の大会のベンチ入りメンバーを確定させるんです。大学受験の準備をする生徒もいますから」

 しかし今年の夏の大会(西東京の独自大会)は、「試合ごとに登録メンバーを入れ替えることができる」という独自大会の特別ルールを採用したため、メンバーを20人に絞る必要はなかった。本番までに練習試合を10試合もこなせなかったが、チームにまとまりが出たという。

「みんなで同じ夢を見て、みんなで勝利を喜び合える。この絆は一生ものですよ」

 初戦の相手は、いきなりの強敵。昨夏の西東京大会を制し、甲子園初勝利を挙げた國學院久我山だった。西東京大会を3年生主体で臨むことを決めた藤田監督が言う。

「佼成学園は、僕が監督になったばかりの頃は公立高校にコールド負けするようなチームでした。でも、3年生が泣きながら頑張っているのを見て、『3年生のための部にしないとな』と思ったんです。野球がうまくない選手の1本のヒットは、ホームランバッターの10本に匹敵するくらい尊い。指導する側からすれば、3年生になる時にうまくなっていないとおかしい。そういう意味で、選手たちはちゃんと育ってくれました。

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