何から何まで狂ってしまった大学時代。島袋洋奨はホークス戦力外を経て母校へ (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Matsunaga Takarin

 一方で、島袋の少年野球時代の監督であり、連覇メンバーである慶田城開の父・広さんはこう語る。

「息子が幼馴染で大学でも一緒だったものですから、島袋のことはずっと見ていました。原因はいろいろあると思いますが、大学に入ってから筋肉をつけたことでバランスを崩したのではないでしょうか」

 島袋に異変が起きた根本の原因は、いまだにわからない。ただ、明らかにおかしくなったのは大学3年の秋だった。青学大との1回戦で初回から突如ストライクが入らず、2者連続フィアボールから連打をくらい、初回4失点KO。さらに、その後の国学院大戦でも1回1/3、3失点でノックアウトされた。

「青学との試合はバックネットに投げまくりました。次の駒澤大戦も何球か暴投してしまったんですが、なんとか8回まで投げ切ることができました。でも、その次の国学院大戦で暴投を連発して、完全に終わった感じです。キャッチャーが届かないほどボールが大きく逸れた時に、『もうダメだ』と。それまでも投げる時に気持ち悪さというか違和感があったのですが、国学院大戦で終わりました」

 島袋は俗に言う"イップス"になってしまったのだ。

「大学4年春のリーグ戦の時には、とうとうフォームがわからなくなり、腕が縮こまってしまって、キャッチボールもまともにできなくなりました。『マウンドに上がりたくないなぁ』って、しょっちゅう思っていました。自分のフォームへの対処法がわからず、ただ単に投げていただけでした」

 キャッチボールをしてもまともに投げられない。ブルペンに入っても「早く終わってくれ」と願うだけ。しまいには、ボールを触るのも嫌いになる。うまくなりたいと練習しているはずなのに、焦りだけが募る。気がつけば、島袋のピッチングはグチャグチャになってしまった。

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