車イス生活の仲間のためにも。滋賀大会で連戦好投→怪腕の評価が急上昇 (2ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Sawai Fumi

 隼瀬の持ち味はスピンのかかった最速140キロのストレートだ。小島監督は隼瀬について次のように語る。

「チェンジアップやツーシームなどの勝負できる変化球もあるし、スピンのかかったストレートもそう簡単にはとらえられないです。とくに昨年の秋はマウンドで焦らなくなって、打者を見ながら勝負できるようになった。間合いなど、自分のテンポで投げられるようになったのも成長だと思います」

 野球を始めた時は内野手だった。小学6年の時は捕手も務め、中学入学時も内野手だった。だが、中学2年の時に肩の強さを買われて投手を勧められ、そこから本格的に投げるようになった。

 中学卒業後は父の母校である伊香高校に進学。1年秋からベンチ入りを果たした。ちなみに父の大典さんは、1987年に春夏連続甲子園出場を果たした時の野球部員だった。

 高校でも投手としてプレーしていた隼瀬だが、昨年夏は現チームでライトを守る藤井大智がエースだった。130キロ中盤のストレートとカーブの組み立てで勝負する藤井は、入学時から隼瀬のライバルだった。

 昨年夏、それまで2年連続初戦敗退の伊香だったが、初戦の八幡戦で先発した藤井の好投もあり、3年ぶりの勝利を飾った。登板しなかった隼瀬はとても複雑だった。2回戦の米原戦で6回から登板したがチームは敗れ、隼瀬のなかで先発して完投したいという思いが強くなったという。

「新チームになって、自分と大智で近畿大会にいこうと目標を立てました。でも、やっぱり自分が主戦で投げられるようになりたいと思ってきました」

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