ロッテ東妻勇輔が智弁和歌山の弟・純平へエール。全国制覇の夢を託す (2ページ目)

  • 永田遼太郎●文 text by Nagata Ryotaro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 その数カ月後、純平は智弁和歌山に進学することになる。こちらも、かつて兄が進んできた道だ。

「もともと純平は内野手だったんです。だからバッティングぐらいしか教えることがなかったんですけど、高校に進んでキャッチャーを任されるようになって、守備のこととか、いろいろとアドバイスを求めてくるようになりました。『ピッチャーとしてどういうキャッチャーがいい?』とか。現監督の中谷仁さんに怒られた時は『どうしたらいいのかわからない』と悩んでいた時期もありました」

 そんな弟からの質問に、勇輔は親身になって答えた。

 それから数カ月が経ち、勇輔は教育実習で母校である智弁和歌山を訪れた。純平と会うのも久しぶりだったが、その時の弟の姿がとても印象的だったと言う。

「1カ月ほど野球部の練習に参加させてもらって、ずっと見ていたんですけど、純平はいつも最後まで残って練習していました。(監督やコーチから)一番怒られていましたけど、どうやったらうまくなるのかをずっと考えていました。その時に考え方も含め、大人になってきたなと強く感じました」

 そしてこう続けた。

「純平は練習の虫というか、やりすぎて悩んでしまうようなところがあります。僕はどちらかというと逆で、『どうにかなるだろう』という考えだし、あまり自分が練習している姿を見せない感じでした。自分で言うのもなんですけど、(弟や周りの人には)センスでやっているように見えていたと思うんです。その点、純平は積極的に練習に取り組める選手でしたし、そこは弟とか関係なく素直に尊敬します」

 内野手からキャッチャーに転向して約2年半。人には言えない苦労もあったろうが、気がつけば「ドラフト上位候補」「高校ナンバーワン捕手」とスカウトやメディアから言われるようになっていた。

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