悲劇じゃなく希望。スーパー小学生投手は6年後に野手で甲子園に出た (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 岡戸の話を聞きながら、なんとも言えない複雑な感情が込み上げた。ひとケタの背番号をつけ、甲子園に出場しただけでも立派な結果である。しかし、本来ならば甲子園のマウンドに立って、大観衆やスカウト陣の視線を独り占めにしていたかもしれない逸材だったのだ。仕方がないことだと理解しつつも、どうしても輝いていた岡戸のイメージが頭に焼きついて離れない。

 しかし、岡戸は小学生時代の幻影とはきっぱり縁を切っている。

「小学生の頃、地元のチームメートや選抜チームの指導者の方から『絶対にプロに行けよ!』と言われるたびに、『はいはい』と受け流していました。でも、今にして思えば井の中の蛙だったと思います。中学1年まで単に早熟だっただけで、高校に入れば自分よりも上の選手がゴロゴロいました。『あぁ、勘違いだったんだな』と現実を思い知らされました。それに逃げたわけではないんですけど、逆にプレーヤーをあきらめたことで新たな道が開けたと思っています」

 こんな時、人は「なぜ、大成できなかったのか」という犯人探しに走りがちである。しかし、岡戸に関しては無意味なのかもしれない。中学時代にヒジを故障したといっても、全治1カ月程度の重傷とは言えない内容だった。また、東京城南ボーイズは今春センバツ(選抜高校野球)に出場した注目投手・村田賢一(春日部共栄)ら、優れた人材を高校球界に輩出している。目先の結果ではなく、高校野球以上での活躍を見据えた指導方針を掲げているからこそ、有望な選手が集まりやすくなっているのだ。

 岡戸も中学時代の恩師である大枝監督には感謝の念を抱いている。

「甲子園出場を決めた時、大枝監督に電話したんです。監督はすでに聖光が甲子園を決めたことを知っていて、『大胆に、荒々しくいけ!』と言われました。考えすぎるとうまくいかない、僕の性格は監督には全部お見通しなんだなとわかりました」

 そして何より、岡戸は聖光学院で高校野球ができたことが心から幸せだと語った。「もう一度高校野球がやれるとしても、聖光学院に行きたい」。岡戸は力強く言い切った。

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