昨夏からメンタル強化も実らず。
高校BIG4・西純矢は美しく負けた

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

「この3年間が本当に楽しかったので、泣いて終わるよりも笑って終わりたかった」

 敗戦後、創志学園(岡山)のエース・西純矢(じゅんや)の目に涙はなかった。

 テレビ用のコメントを撮り終えたあと、多くの報道陣に取り囲まれた。取材が始まろうかというタイミングで、「暗い感じは......」とつぶやいた。

 暗い雰囲気の最後はやめましょう----。

 そんなニュアンスを含んだ西の微笑みから、高校ラスト登板、ここまでの歩みを振り返る時間がスタートした。

岡山大会の準決勝で敗退した高校BIG4のひとり、創志学園の西純矢岡山大会の準決勝で敗退した高校BIG4のひとり、創志学園の西純矢 常に注目と隣り合わせの高校野球生活だった。ヤングひろしま(広島)に所属した中学時代はジュニアオールジャパン(通称NOMOジャパン)に選出された。当時のチームメイトにはセンバツ優勝投手になった石川昂弥(東邦/愛知)、高校球界を代表する左のスラッガーとなった黒川史陽(智弁和歌山)らがいた。

 初のベンチ入りは1年春の中国大会。ややサイズが大きく感じられる、真新しいユニフォームに身を包んだ「背番号11」がブルペンに現れると、同じく大会に出場していた他チームの指導者がこんな言葉を発した。

「あ、今ブルペンで練習してるの、ジャパンの子ですよね? これから楽しみですよねえ」

 視線の先にいた「楽しみな存在」は、約1年後に全国区の知名度を得る。初めて甲子園のマウンドにあがった創成館(長崎)との初戦で16奪三振の快投。岡山大会で最速150キロを記録した直球は、甲子園のスピードガンでも149キロをマーク。打者の手元で鋭く曲がり落ちる縦のスライダーは、2年生の投げるボールには見えなかった。

 ただ、これが重圧との戦いの始まりでもあった。投球のたびに頭から落ちる帽子、打者を抑えた際のガッツポーズが問題視され、甲子園後は苦情の手紙が届くなど、グラウンド外での部分がフォーカスされることも増えていった。

 気持ちを新たに臨んだ2年秋の県大会、西は「生まれ変わった姿」を見せた。

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