赤星憲広が吐き捨てた忌まわしい記憶
「甲子園に行くんじゃなかった」

  • 菊地高弘●取材・文 photo by Kikuchi Takahiro 寺崎江月●協力 cooperation by Terasaki Egetsu

 忌まわしい封印が解かれたのは、16年ぶりのことだった。

 2009年に故障のため惜しまれつつ現役を引退した赤星憲広は、翌2010年春に毎日放送のテレビ番組『みんなの甲子園』のメインキャスターを務めることになった。

『みんなの甲子園』とは、選抜高等学校野球大会、通称「春のセンバツ」の大会ハイライト番組である。CS放送でも視聴できるとはいえ、地上波では関西ローカルの放送になる。赤星は阪神タイガースの元スター選手であり、さらに大府高校(愛知)時代にはセンバツに2回(1993年、1994年)も出場している。キャスターとしては、この上ない人選に思える。

 だが、赤星にとってセンバツは、「まったくいい思い出じゃない」と吐き捨てるほど、暗黒の歴史でもあった。赤星は言う。

「2年の時も、3年の時も僕のエラーで負けたようなものですから。迷惑をかけた先輩には申し訳ないんですけど、『甲子園なんか行くんじゃなかった』と思っていました。そのふたつのプレーは、その後も僕の人生でずっと引っかかっていくんです」

大府高校時代、センバツに2回出場した赤星 photo by Sankei Visual大府高校時代、センバツに2回出場した赤星 photo by Sankei Visual キャスター就任にあたって、自身の高校時代の映像が放送されることになった。そこに映っていたのは、消したくても消せない、16年前の自分のぶざまな姿だった。

 1994年3月27日、センバツ1回戦の横浜高校戦。セカンドとして出場した前年の大会でタイムリーエラーを犯していた赤星は、高校3年生になってショートを守っていた。1回表、2アウト3塁の場面だった。ショート左に平凡なゴロが転がる。赤星は第4試合の荒れている足場を気にしながら前進し、ゴロを抑える。

「前年のセンバツでは一歩前に出るべき打球なのに、出なくてジャッグルしていたんです。この時は前に出て捕れたので、『今年は同じミスはしなかったぞ』と思って、そこでホッとしてしまったんです」

 赤星がステップして投げた一塁への送球は高く舞い上がり、ファーストの伸ばしたミットにも届かない暴投になった。先制点をプレゼントした大府は劣勢を強いられ、横浜に3-10と完敗を喫した。

「(番組で)初めて高校時代のエラーを映像として見ましたけど、やっぱりひどかったですね。当時のファーストは身長が185センチくらいあったのに、ジャンプしても捕れないんですから。なんでそんな球を投げてしまったのか、いまだにわからないんです」

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