2018.04.29

なんとPL学園野球部にまだ逸材がいた。
凄腕のキャッチャーは何者か

  • 菊地高弘●文・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro

 とはいえ、高校硬式野球は「甲子園」に象徴されるように、全国大会はテレビで全試合生中継され、日本の風物詩として浸透している。かたや、高校軟式野球の夏の全国大会が毎年明石(兵庫)で開催されていることを知っているのは、ごく一部の人だろう。

 並外れた実力を持ちながら、あえて軟式野球を選択したのはなぜなのか。どうしても本人に聞いてみたかった。

 斉藤監督に相曽を呼んでもらう。細い目元をまっすぐにこちらに向けて、決して口数は多くはないが一言一言に自分の意志をにじませる語り口が印象的だった。

「甲子園(春のセンバツ)を見ていますか?」と聞くと、相曽は「いえ」と首を横に振った。春休みとはいえ毎日練習があり、遠征にも出ていたため忙しくて見る時間がなかったという。

 甲子園に出ている選手で知っている選手を聞くと、相曽は「あぁ」とうなずいて、意外な選手名を挙げた。

「大阪桐蔭の青地(斗舞/とうま)は一緒のチームでプレーしていたことがあります」

 PL学園中時代も軟式野球部に所属していた相曽だが、実は中学1年の夏に退部し、硬式野球チームに入り直している。その河南リトルシニアでチームメイトだったのが青地だった。

「大阪桐蔭のキャプテンの中川(卓也)や藤原(恭大/きょうた)とは試合で対戦したことがあります」

 そう語りつつも、春のセンバツに特別な興味があるわけではなさそうだった。相曽は「自分の練習をすべきなので」と言葉少なに語った。

 相曽はPL教団に勤める両親のもとに生まれ、幼少期からPL学園の硬式野球部に憧れを抱いていた。小学生時には、キャプテン・緒方凌介(現・阪神)が率いる代に魅了された。秋の大阪大会では、浅村栄斗(現・西武)を擁して翌夏に全国制覇を成し遂げる大阪桐蔭をコールドで破るほどの実力があるチームだった。相曽は「全員の打順を覚えていました」と笑う。

 中学の途中で硬式野球を始めたのも、高校でPL学園の硬式野球部に入部するつもりだったからだ。