亡き恩師に誓う1勝。元プロ監督、市尼崎・竹本修の挑戦

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

「『イチアマ(市立尼崎)が優勝をしたら、球場の外でそっとオレを胴上げしてくれよ』という小橋先生の約束を果たせないままでした。すみません、必ず甲子園に行きます。これからも真夏の太陽のように、空の上からイチアマの野球部を見守っていてください」

 昨年2月、恩師の小橋洋がこの世を去った(享年74歳)。島本高校(大阪府三島郡)の監督在任中にこの世を去った師の葬儀の弔辞で竹本修はこう読んだ。

 しかし、昨年の夏は姫路工業、秋は明石商業にともに3回戦で敗れた。それがこの夏、下馬評を覆す快進撃で、尼崎市制100年のメモリアルイヤーに33年ぶり2度目の甲子園出場を決めたのだ。抽選会では主将の前田大輝が選手宣誓を引き当て、見事、大役を務め上げた。

「なんですかねぇ......。見えない力に背中を押さえているような、不思議な感じが続いています」

33年ぶりに甲子園出場を果たした市立尼崎ナイン33年ぶりに甲子園出場を果たした市立尼崎ナイン 兵庫県大会の戦いのなかで、何度も小橋の顔が浮かんできたと竹本は言った。
 
「野球はやってみなわからんぞ」

 監督としてバトンを受け継いだときに小橋からもらった言葉のひとつだ。竹本も頭ではわかっていたし、自身の現役時代も同様の言葉を何人もの指導者から聞いていた。しかし、小橋の言葉は竹本の耳に残った。

 小橋は23歳で市立尼崎の監督となったが、自身は軟式テニス出身。本格的な野球経験はなかった。それが赴任時に校長から「君は色が黒くて元気そうだ。野球部の監督をせぇ!」というひと言で高校野球の世界に飛び込み、甲子園までたどり着いた。

「野球はやってみなわからんぞ」の言葉は、小橋の生き様そのもののように思えた。昨年、亡くなってからあらためて小橋のことを考える機会が増えた。現チームも突出した選手はいないが、小橋ならチームをどう作っていくか、選手の力をどう引き出していくかということを自問自答した。

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