焼肉屋の店員から球界に復帰。2000年の阪神ドラ1、藤田太陽の今 (2ページ目)

  • 和田哲也●文・写真 text&photo by Wada Tetsuya

――手術をしたのは阪神に入団して3年目の年でしたが、痛みが出始めたのはいつ頃からですか?

「痛みは高校(秋田県立新屋高校)時代からありました。それでも注射を打ったりしながら投げていたんですが、社会人野球(川崎製鉄千葉)、プロと進むにつれて体が出来上がり、球速が上がるなかで、靭帯に限界がきてしまったんです。

 でも一番大きかったのは、プロに入ってすぐのキャンプで、ピッチングフォームを変えられたのに対応できなかったことですかね。投げ方のタイミングもバランスも全部変わってしまったので」

――そのことに対して反発しなかったんですか?

「正直、『プロ野球ってこんな世界かよ』って思いました(笑)。1年やってダメだったらしょうがないと思うんですけど、入団してまだ1週間でしたからね。納得はできなかったんですが、当時は上の者の意見が絶対っていうのがあったし、僕も子どもだったのでうまく意志を伝えることができませんでした。

 それもあって、手術をするときは『アメリカに行かせてくれ』ってワガママを通してもらったんです。やっぱり日本一の医者より世界一の医者に診てもらいたかったですから」

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