元チームメイトが語る「控え投手時代の黒田博樹」

  • 田沢健一郎●文 text by Tazawa Kenichiro
  • photo by Kyodo News

 プロ野球で活躍する一流投手たち。その多くは高校時代、チームのエースとして活躍していたが、なかには"控え投手"からプロ入りする選手も存在する。

 有名なところでは上原浩治(レッドソックス)。日米の名門球団で確固たる地位を築いた上原だが、東海大仰星高(大阪)時代は外野手兼控え投手。浪人生活を経て入学した大阪体育大で頭角を現した。ちなみに高校時代、上原の同期でエースだったのは、こちらも日米の球界でプレイした建山義紀(元日本ハム、阪神など)である。

8年ぶりに広島に復帰した黒田博樹8年ぶりに広島に復帰した黒田博樹

 ロッテ時代にアンダースローで一世を風靡、現在は米独立リーグに所属する渡辺俊介も國學院栃木高時代は控え。エースは、後に外野手として西武、巨人で活躍した小関竜也だった。渡辺は3年春の関東大会では背番号10をつけて好投。存在を必死にアピールしていた。

 オリックスの守護神・平野佳寿も鳥羽高(京都)時代は控え。チームは3季連続で甲子園に出場、自身も二度ベンチ入りしているが、故障もあって一度もエースナンバーをつけることはできず、京都産業大学でエースとなりプロ入りを果たす。

 彼らは同期に力のある投手がいたり、故障が影響したケースだが、栃木の強豪・佐野日大高で控えだった澤村拓一(巨人)は、制球面の課題もあって最後の夏の栃木大会は登板なし。力を伸ばしたのはやはり中央大学時代だ。

 さらに高校時代、公式戦登板ゼロという信じがたい過去を持っているのは矢貫俊之(日本ハム)。仙台育英高の3年時にセンバツ準優勝を経験するも、彼がいたのはスタンドの応援席。その後、進学した常盤大で成長し、社会人への道筋をつけプロまでたどり着いた。

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