【イップスの深層】強肩外野手・中根仁が「カットマンに返球できない」

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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連載第9回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・中根仁(1)

(前回の記事はこちら)

強肩・強打の外野手として活躍した中根仁だが、イップスのことは誰にも言わなかったという強肩・強打の外野手として活躍した中根仁だが、イップスのことは誰にも言わなかったという 打撃練習中にボール拾いをしていると、傍らから耳をつんざく声が聞こえてきた。

「ティー上げお願いしま~す!」

 声の出どころを確かめると、そこに苦手な先輩がバットを持って立っていた。自分がティーバッティングをするために、投げ手を探しているのだ。一度は聞き流してみたものの、再び怒気を帯びた声が聞こえてきた。

「ティー上げお願いしま~す。......はよ来いよ!」

 周囲を見渡すと、先輩にもっとも近い位置にいる1年生は自分だった。

(うわぁ......、これは行かないとまずいか。いやだなぁ......)

 高校時代にティーバッティングでトスする「仕事」をしたことはなかった。大学に入学してからはなるべく免(まぬが)れるように立ち回っていたが、このときばかりは逃れようがなかった。

 憂鬱な思いを引きずり、足取りは重かった。この先輩には独特な打撃の感性があり、タイミングの取り方が変わっている。ボールをトスすることが難しいことは明白だ。そして先輩の少し陰気な性格も苦手だった。

 ボールを右手に握る。先輩が構える。どこに投げればいいのだろう......。逡巡(しゅんじゅん)していると、今度は自分がどうやって投げればいいのかわからなくなってきた。しまいには「自分の手がどこにあるのかわからない」という恐怖にも似た不安に襲われた。

 わずか5球を投げたところで、先輩は苛立たしげに「代われ!」と怒鳴った。それ以来、誰に対してもティーバッティングのボールをトスすることが怖くてできなくなってしまった。

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